Masaaki Koido
小井戸正亮(こいど・まさあき)さん

1978年生まれ。
岐阜県立各務原(かかみはら)高校から筑波大学に進学し、蹴球部で活躍。筑波大学大学院に通いながら、水戸ホーリーホックに入団。1年で現役を引退し、2002年から蹴球部のヘッドコーチに就任。
大学院修了後、柏レイソルのテクニカルスタッフ、清水エスパルスガンバ大阪のアシスタントコーチなどを経て、2014年より筑波大学体育系助教。翌年から蹴球部の監督に就任。サッカー日本代表の三笘薫選手をはじめ、多くのプロ選手を育てたことでも知られる。
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[ インタビューは、2023年4月16日、筑波大学の小井土監督の研究室で行った ]

ーー筑波大学蹴球部は120年以上の歴史がある名門クラブですが、現在(2023年4月)部員数はどのぐらいですか?

部員は199名です。4年生59名、3年生50名、2年生31名、1年生59名です。うちは、推薦入学者だけでなく、ここでサッカーをしたいんだ、蹴球部に関わりたいんだという強い意思をもつ者については、だれでもサッカー部に入れるようになっています。

ーー関東リーグで活躍しているトップチーム(Aチーム)は何人ですか。また、どのぐらいの人数が、毎年プロ選手になるのでしょうか?

Aチームは27名で、プロになるのは、毎年3ー4名のことが多いですね。

トップ選手のほとんどが教員免許を取る

ーー推薦入学で入ってくる選手は、有名な三笘選手(現・ブライトン)のように、大学に来なくてもプロになれるようなレベルの選手も多いと思います。そういった選手でもプロになれないこともあるし、なれたとしても数年で引退ということもあると思います。そうした選手に、セカンドキャリアについて考えるように指導していますか?

推薦で入ってきた選手は、アンダーカテゴリーで日の丸をつけたことがあるか、全国のベスト8に入ったことがあるか、そういったレベルのプレイヤーです。サッカーにかけるエネルギーが大きいので、大学卒業後にプロになれない場合のことは考えていない者も多いし、ある面ではそれは当然かなとも思います。

そんな彼らに、僕が伝えているのは、サッカーを極めたいなら、ちゃんと勉強をし、教職免許は取っておけよ、ということです。

言い方はよくないかもしれないが「つぶしがきく」からです。

また、「教育実習などで人に教える経験をして社会勉強をしないと、サッカーバカになってしまうよ」という話もしています。

逆に、一般入試で入ってきて、サッカーは一生懸命やるけどプロ選手にはなれないかな、と思っている選手の方が教員免許を取らない場合もある。トップチームにいる選手はほとんどが教職免許を取って、セカンドキャリアの準備はしていますね。

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[ 取材に訪れた日は、20数人のAチームメンバーが練習をしていた=4月16日、筑波大学で ]

大学時代に、多様な価値観に触れることが大切

ーーサッカーに情熱を注いでいる選手は、なかなかセカンドキャリアに目が向けられないと思いますが、そこはどうお考えですか?

高校生に「セカンドキャリアを考えなさい」と言ってもわかるわけがないと思います。

大学生ですら、自分はどんな人間なのか、何が向いているのかも、普通はわからない。

「4年間勉強すれば、セカンドキャリアにつながるでしょ」と言っても、大学生のうちに多少学問をかじったぐらいでは、世の中には、なかなか通用しません。

僕は、大学時代に何か具体的に準備するというより、いろんな人に触れあって、いろんな価値観に気付くことが大切だと思っています。

筑波大の場合、サッカー部員の9割はトップの試合で出場できないかもしれない。それでも、筑波でサッカーがしたいと思って入ってくる。なかには、医学部生もいて、サッカー自体はそれほど頑張らなくても医者になれるのに、それでも本気でサッカーをやるんだと覚悟を決めている。

いま、主務(マネジャーの責任者)の4年生は、プレーはしていないけど、「俺の幸せはみんながピッチで活躍してくれることだ」って思って頑張っている。

そういう多様な仲間の価値観に触れて、いま、自分がサッカーできていることが当たり前ではなく、特別なんだと感じることは大切だと思います。

また、実家から離れて一人暮らしになって、食事を作ったり、バイトしながら家計をやりくりしたりする中で、いろんな価値観の人に触れられるのも大学生の特権だと思います。

そういうことを通じて、「自分はこういう人間だな」とか「こういうことは譲れないな」ということが見えてくるのではないでしょうか。

ーーサッカー部出身者の方は、どんな進路に進むことが多いですか?

かつては、新卒採用ばかりで、大手企業に就職できなければ、その後の人生は階段を登れない、というような時代もありました。ですが、今の学生を見ていると、新卒で就職しても3年後には転職しているOBが半分くらいいるように思います。

卒業する時に「将来どうするの?」と聞いたら、「いつかスポーツ産業で働きたいんです。だから最初にベンチャーの企業に入ってスキルを身に付けて、それからやりたいことにシフトしたい」というように具体的なキャリアプランをもって卒業していく学生も少なくはない。

将来的には教員をやりたいけど、人生勉強のために、一度、企業で働いてから教員をめざす学生もいる。

そういう様々な価値観がある中で、サッカー部という同じ場所の中で、一緒に活動してお互いの応援をしたり一緒に食事したり、ということが大切だと思います。何の勉強をするにしても、机の上の勉強は、社会に出た時にはあまり役に立たない。むしろ、人とのコミュニケーションの取り方を学ぶほうがいい。

だから、「就職活動をしなさい」ということもないし、「お前の人生はお前が決めれば良い」と思っている。

ただ、親心として言えることは、「教員免許は、後から取ろうと思っても時間がもったいない」ということだけ。今のうちにとれるのであればとっていた方が良いぞ、というのが唯一のアドバイスです。

ーー監督からご覧になられて、こういう人が企業や社会で活躍するというのはあるのでしょうか?

私はどちらかと言うと保守的なんです。ここで国立大学の教員をやっていることがそれを表しているんですが(笑)、堅い人生を歩みたいタイプなんです。

一方、OBになって自分のことを報告に来るような元選手たち、彼らが学生の頃を思い浮かべると、いわゆる堅物じゃないというか、自分で考え、自分の言葉で発言でき、時にはそれが輪を乱すことがあるんだけど、勇気があるというか、そういう選手の方がうまく歩んでいるなという感じもする。何が成功かなんて、わかりませんけどね。

スポーツって言うと、「頑張ること、我慢すること、悔しくても歯を食いしばってやることが素晴らしい」という価値観が昔からある。でも、実際、それが通用する社会ではなくなってきている。

社会の変化を察知して、それに乗るとか、自分の能力を客観視して考えられるとか、そういう人が良い方向に行っている気がする。もちろん、報告に来ていないOBでも頑張っている人はたくさんいると思いますが、何となくそういう感じがします。

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[ 研究室には、三笘選手をはじめ、OBのサイン入りユニフォームがかかっていた ]

サッカーは「理不尽なスポーツ」。でも、普通より「濃い人生」を過ごせる

ーー監督は、サッカーというスポーツを通じて、どんなスキルが身についたり、何を学べたりすると思いますか?

サッカーをやっていると、人生に役立つこんなスキルが身につく、たとえばふとした時の判断が早くなるとか、そういうことを言いたくなりがちだけど、野球をやっている人は、野球をやっているからこそ学べるスキルがあると思います。なので、そこに優劣や善悪のようなものは存在しないですよね。

サッカー固有の特徴って何だろうと考えると、サッカーって、プレーをしていても指導者をしていても「理不尽なスポーツだな」と感じることが多いスポーツである点ですかね。ずっと試合で優勢だったとしても、ワンプレーで負けてしまうこともあります。

個人種目だったら自分でやったことは、自分に跳ね返ってきて、1位、2位、3位となる。

野球で、もし打率5割も打つ選手がいたら、どんな監督でも使うと思いますが、サッカーはそうではない。パスがどれだけ上手くても、監督に「うちのサッカーにあわないよ」と言われたら試合に出られない。意思決定者の信念や哲学のようなもので自分の「評価」が決まるようなスポーツですよね。

頑張ったからといって、報われるとは限らない。ちょっとした怪我で半年もサッカーができなくなることもある。ほんの少しボーッとしただけで、ボールをかっさらわれて、ゴールが決められてしまう。でも、ときどき、逆に、ボールが思いもよらぬところに転がってきたりもする。それを逃さないようにしないといけない。

良いところも悪いところも含めて、サッカーに真剣に取り組めば取り組むほど、普通の人生よりも、その2倍か3倍ぐらい、濃い時間を過ごせるんじゃないかなあ、と思います。

いろんなことを経験する回数というか、感情的な揺れ動き、深さというか。

ボーッと一日過ごしても人生だけど、これだけ一生懸命努力を傾けたのにダメだった、というときの試練、「なんで俺が選ばれないんだよ」というようなことも含めて、サッカーにはそういう理不尽さがある。

でも、人生や社会って、理不尽さがつきまとうものですよね。

「サッカーをやることで、濃い人生そのものをピッチの中で経験できる」。これがその質問への僕の答えです。

ーー監督が、試合の出場メンバーを決める際、サッカーの能力が大前提でしょうが、それ以外の要素はありますか?

もちろん足が速い選手をここに置いて、守備ができる人をここに置き、センターバックは、相手がどんどんボールを放ってくるチームだから背の高い選手を置く、というような勝つための戦略はある。

でも、勝っても負けても、特に負けた時に思うのかなあ、「こいつらと心中するぞ」と思える奴と一緒に試合をしたいと思う。

「俺が勝たせている」とか、「このメンバーなら勝てる」と思って、選手を試合に送り出してはいない。「送りだしたらあとは頼むぞ!」というスタンスでピッチに出している。

なので、「負けたらもうしょうがない。これで勝ったらむしろありがとう!」と言えるメンバーに出て欲しいというのが最終的な決定要因かな。

「負けたら、俺も周囲も納得できない」と思ったら、どれだけ上手い選手でも、やはり使いたくないし、最終的にどうしようかと考えるときにそういう基準があると思います。

ーーサッカー選手として非常に有望だったのに、怪我や病気で、サッカーを断念せざるをえないような人もいます。どういう言葉をかけますか?

僕は体育心理学の研究室で修士号を取りました。それは、人の心の動きと、身体の動きについて興味があったからです。深層心理とかフロイトやユングとか、そういう世界も勉強しました。僕はその結果、少し宗教的かもしれませんが、「その人の人生の中で、死ぬこと以外は必然性があって起きているんだ」という風に考えるようになってきました。

筑波大出身のJリーガーに、アルビレックス新潟の早川史哉選手がいますが、彼はこれからというときに急性の骨髄性白血病になってしまって、長い間、サッカーも出来なかった。こんな不運や不条理に遭遇したと選手にかけてあげられる言葉は「それを含めでお前の人生なんだし、これからの人生はお前が決めるしかない」ということ、そして、「それも(病気や怪我)含めて、お前の人生に必要だったんだと思うぞ」としか言いようがない。

怪我で、プロ人生を棒にふってしまう選手もいる。その人の人生全体のことを思い、「別のところで花を開いてほしい」と願います。

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指導者に学び直しの機会を

ーー日本の場合、大学や高校の部活に入ってみて、ここは向いていなかったと思っても、方向転換するのは難しいです。そういう日本のシステムをどう思いますか?

もちろん制度として移籍しやすくするとか、高校とクラブを行き来できるような制度にすることは大事だと思いますが、僕は指導者教育にも大きな関心があります。

なかなか指導者が、学び直しができない。特に中学、高校の先生は忙しすぎると思います。

決して彼らが悪いのではなく、皆さん全力で指導に当たっていると思います。

そういう方に対して、すでに得ている経験やノウハウをいったん整理して、最新のサッカーのトレンドや専門的な知識を学び直したうえで、「目の前の選手にこういう働きかけをしてみませんか?」というような気付きを与える指導者教育が必要だと思います。

指導者に対する教育というか、学び直しの機会を是非、設けたいなと思っています。

ーー実際、学び直しの機会は、なかなかないのでしょうか?

サッカーの指導には、サッカー協会公認のライセンス制度があるので、ライセンス講習会に出たり、リフレッシュ研修なりがあります。ただ、それが実際的に現場に、良い影響が与えられているのかは検証されていない。もっと、効果的な方法がないだろうかと思います。

僕は、1年だけですが、Jリーグでプレーしました。水戸ホーリーホックですが、サッカーで飯を食うってこんな大変なんだな、という経験をさせてもらった。その後、J1のクラブで指導者も経験しました。

もともと自分に、ものすごく自信があって、ものすごいサッカー選手で一流で、指導力も十分にあると思っているのであれば、もう少し違う発信や、違う指導者像があると思います。だが、自分はダメな選手だったし、いくら努力をしてもかなわないものがある、ということを痛感しながら、プロの一流選手に指導しないといけない状況となった。

その中で、自分は何で勝負できるのか、と考えました。僕は根本のところでは自身に対する劣等感が強いと感じています。自分が何かしてあげられることは少ないと思っているんです。なので、自分の目の前のいる人たちがみんなハッピーになるために、いまの自分にできることをする以外にないという思いでやってきた。

筑波の監督としても、学生たちにそれぞれに役割を与えて、「ああでもない、こうでもない」と言いながら、「わからないことは教えて」というスタンスでやっています。

たとえば、データのアナリストとしては、僕は今の学生よりも下なんですよ。彼らのほうがIT能力は高いです。自分が一生懸命やってきたスキルなんて、あっというまに上回ってしまう。

それらを学生から聞きながら、それは頼むな、などと言いながら全体を統括するのが、今の仕事ですね。

ーー「いくら努力してもかなわないことがある」というのは、生まれつきの運動能力のことですか?

「生まれつき」と言ってしまうと、元も子もありませんが、それも間違いなくあると思います。

僕は、プロサッカー選手をめざして、筑波大学に推薦入学で入ったんです。

それで水戸ホーリーホックでプレーしたときに、フロンターレと対戦しました。エメルソンという有名な選手がいましたが、彼を「ファールしてでも止めてやろう」と思ったのだけれど、ファールすらできなかった。これは自分が努力して追いつける世界ではないな、と痛感しました。プロで、運動能力や身体的な差を体感できたのは大きかったです。

怪我をしない身体も、プロの選手としては大きな能力です。僕は、体育会系の家系ではないのですが、小さいころから家庭でちゃんと食事させてもらえて、高校の時は毎日お弁当を作ってもらっていました。おかずのタッパーと、ご飯のタッパーと、フルーツのタッパーと持たせてもらい、こういう食生活のおかげで、大きな怪我もなくできたんだな、とようやく23、24歳になってからわかりました。

10の練習のうち、3〜4はチームではなく、自分で考える。

ーーカタールワールドカップでも活躍した三笘選手は監督の教え子です。監督の別のインタビュー記事で三笘選手について「自分を良くする努力は惜しまなかった。卒業研究では頭に小さいカメラも付けデータを取得していた」と語っていたのが印象的でした。監督は、選手を育てる上で、自主性や、自己改善能力を重視していますか?

それにつきると思います。

具体的な話で言うと、例えばやらなければいけない練習が10あったら、チームでやるのは6か7でいい。残りの3か4は自分で考えてやる、ということを大枠にしています。

それをがんじがらめで10までチーム練習でやろうとすると、残りの、本当にやらなければいけないことの時間や、エネルギーがなくなってしまう。

10のぎりぎりまでやる部活動を悪いとは言いません。ただ、サッカーという種目自体が、「これ」と決めたことが試合で起こるわけではなく、最後は個人の能力で勝負が決まるとも思っているので、それくらいの割合で練習するのが、一番パフォーマンスを発揮できるのではないかというのが僕の判断です。考える時間や、自分で自分のことを磨く時間を残しておくことが、大切です。

そういう仕組みが、三笘にはあっていたんだと思います。

ーーぎりぎりまでやって、バタンキューという体育会も多いと思いますが。

本人もやっている気になるし、「こんなに頑張ったんだから、俺ら大丈夫だよ」という自信が生まれるかもしれない。

でもそれは少しズレた自信というか、サッカーはインスピレーションが大事なので、そういうやり方が適している競技ではないと思います。

少し余力を残して、自分のプレーを振り返ってみたり、練習のあと今日の食事は何を作るかな、みたいなことも考えてほしいんですよね。

そして、明日はまたサッカーが上手くなりたいと思って、ピッチに向かう。そういうサイクルを回すことが自立した選手をつくり出すには必要なことなのだと思います。

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[ 元日本代表で筑波大出身の平山相太ヘッドコーチと話す小井土監督(真ん中左)]