セルジオ越後さん
セルジオ越後(えちご)さん

ブラジル生まれの日系2世。18歳でサンパウロの名門クラブ「コリンチャンス」とプロ契約。1972年に来日。藤和不動産サッカー部(現・湘南ベルマーレ)で活躍した。「さわやかサッカー教室」などを通じて、多くの青年にサッカーの魅力を伝えてきた。2013年、「日本におけるサッカーの普及」を評価され、外務大臣表彰。2023年、「日本サッカー殿堂」入り。プロアイスホッケークラブのH.C.栃木日光アイスバックスのシニアディレクターも務める。著書に「補欠廃止論」(2016年、ポプラ新書)など。

ーーセルジオさんは「補欠廃止論」という本を書かれています。なぜこの本を書かれたのですか?

「補欠」というのは、日本的な文化の中で生まれたと思う。英語では「リザーブ」という言葉があるけど、リザーブとは、先発ではないが、ベンチに入って試合に出場する可能性がある「控え選手」のこと。これは、海外でも日本でも、必要な選手たちです。

僕のいう「補欠」は、ベンチに入らない選手のこと。それが日本のサッカーの部活動では、非常に多い。高校選手権などの公式試合では、1校につき1チームという登録制度があり、これが補欠を発生させる原因になっている。

僕が日本に52年前に来た時は、サッカー部に30人いたら多い方だったけど、今はサッカー強豪校だと、部員数が200人超えているところもある。日本の私立高校では、選手が集まるほど学費が集まり、学校の収入が増えるから、そうなっている面もあると思う。

本来、高校選手権などの公式戦で、試合に使わない選手をスタンドで応援させることには違和感がある。スタンドでメガホン持って応援するのではなく、違うところで、サッカーをしてほしいと僕は思う。

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真剣勝負の試合をしてこそ成長する

ーー「補欠」でも練習はできるわけですが。

練習と試合は、全く違うんだよ。真剣勝負の試合をしてこそ、選手たちは、成長する。だから僕は、日本は、サッカーも含めた「補欠」の多い団体スポーツでは、なかなか世界のトップになれず、体操とか卓球とかレスリングとか、補欠のない個人スポーツのほうが、活躍する選手が多いのだと思っている。

補欠で我慢している子に「仲間を思いやる心があって、えらいね」という大人もいるけれど、「補欠」の子だって、本当は試合に出たいはずだ。もしその子が「自分は補欠でもよい」と思ってしまうようになったら、その子の競争心をなくしてしまうことにつながる。だから登録制度を変えるなどして、「補欠」をなくしてほしいというのが僕の願いだった。

ーー本を出されたあとの反響はどうでしたか?

本を出したあと、考えが変わった面もある。ある校長先生が僕の本を読んで、「 うちの学校には『補欠』は1人もいません。みんな『生徒』なんです。私たちには、選手を作る義務はないのです」と言ってきた。

その校長の発言の趣旨は「学校は勉強をさせるところであって、スポーツをさせるところではない」ということで、「なるほど」とは思った。

たしかに、教育に「補欠」はない。日本のような小さな国が、なぜ大きな国と戦えるのかというと、「教育の保障」があり、教育が充実しているからだと思う。

南米やアフリカ、東南アジアでは、「教育の保障」ができていない国が多い。人口が増えても教育対策が追いつかない。学校に行けない子も多い。

学校に行けない子は、暇だから、時間がある。医者や弁護士だけでなく、スポーツ選手になるにも、素質だけでは十分ではない。時間がなければ結果が出ない。例えば世界のサッカーのスーパースター、ネイマール、ロナウド、メッシなどは、良い学歴がない。彼らは、十分な時間を使って、サッカーをやり続けて、スター選手になった。

日本では、プロのスポーツ選手と、学歴との両立は難しい。良い大学にいくと評価されるが、勉強の時間が足りなくて、スポーツを本格的にやりながら良い大学を卒業するのは難しい。医者になるんだったら、スポーツを諦める人がほとんどだろう。

学校文化が変わらないと、「補欠」はなくならない

「学歴社会」は良いことばかりではないが、「学校は勉強するところ」という「文化」が根付いているので、なかなか「補欠」がなくならないのだなと思った。

「補欠」が多いということは、団体スポーツの競争が不十分だということだ。日本のスポーツ界はハンディキャップを背負っているともいえる。その割には、世界を相手によく戦って、頑張っているということもできる。

ただ、この文化の中では、ワールドカップで優勝するのは、まだ厳しいだろう。日本の進学校が、大会でベスト16の壁を突破できないというような状況と似ている。やはりサッカーの強豪国と日本では、環境の違いがある。

もっと強くなるためには、補欠をなくすとか、もっとガツガツと競争させるとか、同じ学校から何チームも出せるとか、色々と工夫することはできるけれど、 「学校っていうのは文部科学省の下にあって、勉強させるところなのね」ということが、本を出したあと、僕が認識したことです。

ーー サッカーの強豪校だと、まだまだ「忍耐」とか「根性」が大事だという風潮も聞きます。それについてどう思いますか?

スポーツをエンジョイするのは大切だと思うけれど、これも教育や学校の文化と関係するね。

学校とクラブチームの違いは、「学校」と「塾」の違いのようなものかもしれない。

塾には、あんまりパワハラがあるとは聞かない。そもそも塾は、自分で決めて行っているのだから、塾がいやならば辞めればいい。

日本では、学校はね、歴史的に「訓練するところ」という面もある。「体育」というのは、スポーツの指導というより、戦前から「訓練」の場であって、「忍耐」とか「根性」が重視され、エンジョイすることは表には出てこない。

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世界で戦うために、「批判」も必要

ーー 「罰走」をさせるチームも、まだありますね。

 試合に負けたあと30週グランドを走らせたりする監督がまだいるようだけど、負けてからでは遅い。負けないために、試合の前に30周走ったほうがいいと思うんだよね(笑)。「負けたことの連帯責任で走れ」ということなら、「先生も一緒に走ろうよ」と言えばいいんじゃない? だったら、30周ではなくて、1周か2周になるんじゃないかと(笑)

まあ、そういう「忍耐」とかは、社会の特徴でもある。日本のサラリーマンは、自分の上司に文句を言わず我慢している人も多いけど、新橋の居酒屋では愚痴をこぼしてストレスを発散したりしている。そういう「上に従う」「文句を言わない」という文化によって、日本は戦後、短期間で経済成長した面はあったのだと思う。とはいえ、海外の良いところについては学んでも良いと思うね。

僕は、「辛口評論家」といわれているけど、僕からすると、批判ではなくアドバイスのつもりなんだけどね。いずれにしても、僕が「辛口」でいられるのは、僕がブラジル国籍で、日本人でないから許されているところがある気がする。

日本代表が、ワールドカップのグループリーグで負けても、日本のファンは空港で温かく迎えたりしていた。本当は、負けたときには、きちんと批判しないと、チームは強くならないと思う。だけど、日本には「足をひっぱるな」みたいな雰囲気がある。それは日本の良いところかもしれないけど、本当に世界で戦っていくには、批判すべきときには批判したほうがいいと思うんだよね。

南米とかヨーロッパもそうだけど、基本的にクラブチームなのであって、学校単位でスポーツをやっている国は、ほとんどない。日本は、学校でスポーツをやる難しさという問題がやっぱりある。

ーー僕は、心臓の問題や怪我が相次いだこともあって、高校2年生のときに東京都内のクラブチームをやめて高校の部活に移ったのですが、クラブから部活に移ると、半年間は高校の公式戦に出場できないという規定があって、悲しい思いをしました。

僕は、部活動もクラブチームも、両方に所属できるようになると良いと思っている。
勉強する上で、学校と塾のどちらかしか行けないのはおかしいよね。部活動しながら、クラブチームに入っていても、いいと思うんだけどね。
そして、部活動で補欠になって出場機会がほとんどないなら、自分にあうレベルのクラブチームをみつけて、試合に出場したほうが、上手になると思う。
高校サッカーは、全国高等学校体育連盟(高体連)のサッカー専門部のもとにあり、学校教育の一貫としての活動なんだよね。そうすると、学校文化の中で、部活動をどうとらえるかということになる。文化となると、なかなか変えられない。

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プロ選手になれなくても、人生の失敗ではない

ーーサッカーのプロ選手になりたいと憧れる子供たちは多いですが、実際にプロになれる確率はとても低いです。プロになれなかった選手に、どういう言葉をかけてあげたいですか?

サッカー界は、 選手だけで成り立ってはいない。実は、選手が1番少ない。マネジメントの人たち、トレーナーや医者、マスコミに至るまで、どれだけの多くの人たちに支えられているか。

選手を引退してから、別の道を考え始めても遅いんだよね。サッカーをしながら、最低でも高校まで、できたら大学まで行って、学歴をつけることも重要だ。プロ選手になっても、怪我をしてしまったら、契約社会のシビアな中で、1年で、ぽいっと捨てられてしまうこともある。

昔、1泊2日で鹿児島の進学校のラサール高校に指導に行ったことがある。僕は、選手たちに「一生サッカーを愛することを忘れないでください」って、お願いしたね。

岡田武史さんが日本代表の監督だったとき、森孝久さんという人が、チームドクターとなって、南アフリカのワールドカップに行った。その森さんが言っていたよ。「僕がサッカー選手をやっていたら、ワールドカップに行っていない。ドクターだから行けたんだ」って。選手にならなくても、サッカー界にかかわる道はたくさんある。成功できることはたくさんあるんだ。

勉強の面で考えたら、勉強の得意な人が、みんな東大に入れるわけではないよね。みんな東大に行ったら、社会のバランスが崩れてしまう。サッカーが得意な人が、みんな選手になってしまったら、6万人のスタンドなどはいらない。選手になれなくても、サッカーが好きで応援したい、という人がたくさんいるのが社会のバランスだと思う。

プロになっても、たいして活躍できず、30歳ぐらいで引退したら、サッカーを途中であきらめて勉強した人のほうが、生活の豊かさという面では、逆転してしまう可能性が高いと思うよ。だから、「プロのサッカー選手になれなかったら失敗」などと考える必要はない。

ーーサッカーに限らず、小さいころはいろんなスポーツを経験すべきだとおっしゃっていますね。

サッカーの指導者向けの講習会で、 ある監督さんに「100メートルを10秒台で走る子がいたら、どこに使うか」という話をしたことがある。「そりゃウイングでしょう」「バックもいいよね」などという答えだったけど、僕が言ったのは、「それだけ速く走れるのなら、陸上部に紹介してあげたら? 将来、金メダルをとるかもしれない。何でサッカーに拘束するの?」と伝えました。

子供たちには、いろんな種目をやらせたほうがいい。一つのスポーツに向いていなくても、別のスポーツなら向いているかもしれない。「補欠」で試合に出られないよりは、そのほうがよほど楽しいと思うんだよね。

これもまた日本の文化の問題になってきて、簡単には変えられないかもしれないけれど、僕は、そのスポーツに向いていない子を(そのスポーツに)拘束しないほうが良いと思う。

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「先輩や後輩と、サッカーをしよう」

ーーセルジオさんからご覧になって、サッカーの魅力は、何だと思いますか?

友達がいっぱいできるし。喜びも、悔しさもスポーツを通して覚えられる。

大きいのは、 先輩や後輩と、一緒に楽しめること。

ここは、日本とブラジルの違いなんだけど、僕は子供のころ、同級生と一緒にサッカーをしたことはほとんどない。 いつも先輩や後輩と混ざってサッカーをやってきた。

社会のルールを覚える上で、同級生同士で、学ぶことは多くない。

やっぱり、年齢が上の人と付き合って、 いいものも悪いものもずるいことも含めて経験して、自分が磨かれていく。日本の場合はね、同級生同士でスポーツやる時間が長すぎると思う。怪我を恐れすぎているんだよね。

ーーセルジオさんは、ブラジルの名門クラブのコリンチャンスでプロ選手になりましたが、若くして、いったん引退されました。

僕はブラジルでは、24歳のときに、プロのサッカー選手をやめたのよ。

向こうではバスで移動することが多くて、8時間とか10時間かかる。試合から帰る時に、サッカーチームの幹部が僕の横の席に座って、「30歳まで頑張ったから一生面倒をみるというのは契約社会としてあり得ないことだから、若い時に取れる時にとっておけよ」と言われた。ブラジルでも「あいつよりうまいから、まだできる」と未練を持ってやってる人が何万人もいる。失敗した人のお手本がいくらでもある。

僕は、サッカーをやめて、ビジネスを始めるのは、早い方がいいと思った。日本に来るまでの3年間は、鉄骨会社の営業マンをやった。

コリンチャンスって、地元ですごい人気あったのよ。営業に行ったら、買う人はコリンチャンスのファンということが多かった。商売の話をしないで、サッカーの話になる。

日曜日に会社でサッカーチームをやっていて、「俺も入れてよ」となる。距離が縮まって、営業の経験もなかったのに、向こうが注文してくれた。

まだ27、8歳だから、体も動けるし、コリンチャンスの話ばかり出るから、「俺も試合出してよ」って言ったら、「本当に来てくれるの?」って、もう大騒ぎ。試合に行ったらもうVIP扱い。

営業はいかに距離を縮めるか。普通、営業は接待をしなくちゃいけないのに、僕の場合は接待されたから、「プロになってよかった」と思った。僕は、早く(プロ選手を)やめて、いいスタートが切れた。

長く現役を続けることが良いとは限らない。35歳でスタートするのと、24歳って、全然、条件が違うんだよね。周りはね、「まだできるじゃない」という。でも、その人は、30歳過ぎたあとの面倒をみてくれるわけではない。だから僕はね、早く引退した中田英寿(選手)は賢いと思うよ。

ブラジルから日本へ 「お金もらって留学できる」

ーーブラジルから来日する前、悩まなかったのですか?

(藤和不動産から)オファーを受けた時に、鉄骨会社の社長に相談しました。「日本からサッカーで、こういうオファーがあるけど、社長、どう思いますか」って。

「アマチュアだけど、給料とか家とか飛行機代などのチケットも保証もしてくれるそうです。でも、仕事はサッカーだけではなくて、日中は仕事も勉強もしないといけない」と伝えました。

その、社長が笑い出して 「そんな贅沢なオファー、オレを、からかいに来たのか」と。「オレは一生懸命稼いで、そのお金で、息子を(海外に)留学させたいのに、お前はお金をもらって留学できるという。お前が行かないんだったら、俺の息子を紹介してくれよ」

そして「日本と鉄関係の取引があるから、2、3年ぐらい行って、また(うちに)帰ってきたら?」とも言ってくれた。

僕は、「そうか」と思って日本にきた。だが、2年間だけ日本に来る予定が、52年も日本にいる。だから、人間、あんまり長い計画はしないほうがいい。(笑)

計画が大きく変わったのは、日本で仲間ができたから。みんなホームシックとか、「ふるさとが恋しい」とかいうけれど、「ふるさと」とは場所ではなく、仲間の数だよ。日本に滞在しているうちに仲間が増えて、向こう(ブラジル)では減っていく。休暇でブラジルに帰っても、日本に戻りたくなる。

日本サッカー協会公認の「FIFAさわやかサッカー教室」をやらせてもらって、全国各地を回り、60万人以上の少年少女を直接指導できた。2006年からは、栃木日光アイスバックスのシニアディレクターもしている。日本でものすごくたくさん友達ができた。スポーツのおかげで、全国まわって、どこでも知り合いができるようになった。

「海外遠征するのなら、社会見学もしよう」

ーーサッカーが好きな子供たちや保護者に、伝えたいことはありますか?

僕は、子供たちが、サッカーが上手くなり出したら、「語学も勉強しろよ」といいます。

「海外に行く準備もしとけよ」って。

知っている千葉の少年チームが毎年、ヨーロッパに遠征する。そのときに、日本的なことに「1日2試合やる」「ドイツのチームに、何勝何敗した」とか言うの。

僕は「先生、みんなが選手になるわけではないでしょう。勝っても負けてもいい。その国には、広場が必ずあるから、そこで社会体験させたらどうか」と提案した。

教会の前や周りの店で買い物して、2時間後に集合する。

それを2年目からやったら、子どもが親に「 語学を覚えたい」って言い始めた。「1人で動き始めたら、買い物も何もできなかったから」というのが理由で、もっと外国語を喋りたいっていう気持ちになったらしい。

それを聞いた親たちが喜んで、「中学に行ってからも連れてってくれませんか」なんて話になった。

選手を育てようとする意識が強すぎて、せっかくの往復の飛行機代とかがもったいないよね。「海外遠征するのなら、社会見学もさせなさい」と、僕は言っている。

僕が清水にいた時、ブラジルに40人の子供たちを連れて行ったことがある。渡航前に、「新品でピカピカの5円をいっぱい持ってきて」って言ったんだよね。

金色だし、穴が空いているコインは、世界的にも珍しい。穴が開いているから、「お守り」にもできる。

そしたら、子供たちが、スタンドで「チェンジ、チェンジ」って言って、地元のブラジル人に話しかけ、ブラジルのお金と日本の5円玉を交換しはじめた。そのお金を集めて、親戚にお土産を買っていた。

すごくない?

ブラジルのお金と日本のお金を交換する方法を教えていないのに、自然にビジネスができた。海外遠征したときに、試合だけの生活をしても 教育には役に立たない。

海外に行くことで、子供たちには、選手になるという夢だけでなく、いろんな夢が膨らんでいくと思う。僕もブラジルから日本に来て、初めてわかった文化もたくさんある。たとえば、どういうときに、靴を脱ぐか、とかね。来てみないとわからなかった。

ーー海外で活躍する日本人のプロ選手は、随分と増えました

日本の海外組も、サッカーだけでなく、もう少し社会的な話をしてほしい。

「イギリス行ったら、最初戸惑って」とか「俺はドイツで生活をこうやって」とか。

でも、メディアも求めないから、サッカーの話ばかりになりがちだ。

海外に行った時、通訳をつけ、美容師まで雇っている選手もいるが、それでは「リトル東京」になってしまう。

吉田麻也とか長谷部誠とか、中田英寿とかは立派ですよ。ちゃんと、外国語を話せる。

彼らには、文化的なギャップとか、地元の子供たちとの交流とか、そんな話もして欲しい。向こうに行ったら、選手にならなくても、参考になる話が山ほどある。

海外に行ったことがあって影響力がある選手たちには、メディアに対して、サッカー以外の経験もたくさん話してもらったほうがいいと思うんだよ。

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(インタビューは2024年1月8日に行いました。文中の写真の無断転載を禁じます。©︎Rie)