コーガー亜希子
コーガー亜希子さん

青森県今別町生まれ、群馬県高崎町育ち。夫はアメリカ人で、子どもが男女3人。長男と次男がそれぞれ3歳と5歳でサッカーをはじめる。2010年、子どもたちが通っていたフレンチスクール(フランス語のインターナショナルスクール)の保護者たちとFC千代田の前身である民間サッカークラブを設立する。その後、夫の転勤に伴ってオーストラリア・シドニーに3年間住み、2017年1月に帰国。長男と次男はFC千代田に戻り、その後、高校や別のクラブユースなど別の形でサッカーを続けている。東京在住。

ーー息子さんたちは、どんなきっかけでサッカーをはじめたのですか?

当時、(東京)六本木に住んでいて、たまたま散歩中、英語でサッカーを教えるスクール「ブリティッシュ・フットボール・アカデミー」が練習しているところに遭遇したんです。
コーチに英語で声をかけられ、毎週日曜日に練習に参加するようになりました。長男が5歳、次男が3歳の時です。二人とも身体を動かすのが大好きで、すぐにサッカーにはまり、当時通っていた(東京)飯田橋のフレンチスクールの放課後のアクティビティでもサッカーをしていました。
学校には他にもサッカーが好きな子どもたちが何人かいて、フランス語がベースのインターナショナルなサッカークラブチームを創りたいという強い意志を持った保護者が
「FC千代田」を立ち上げました。私は息子2人がお世話になっていたので、学校からフィールドへの引率やフランス人家庭のサポートなどをしていました。

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[ 次男は3歳で、サッカーボールを蹴り始めた。六本木の小学校にて ]

ーー「FC千代田」は現在、千代田区で唯一の民間クラブのようですが、当初はどのようなチームだったのですか?

当時、フレンチスクールで働いていたセミプロのサッカー選手だったこともあるフランス人にコーチをお願いして、フランス語で指導してもらっていました。(東京都千代田区立)麹町中学校をはじめ、区内の公立小・中学校のグラウンドを借りて練習しました。麹町中や他の学校からも選手が集まり、当初は3、40人ぐらいいたでしょうか。ただ、チームが強くなってくると、そのコーチが勝利にこだわるようになって、審判からレッドカードをもらうような発言をしたり、試合後に相手チームに挨拶をしなかったりするなど問題行動が増えていきました。私も直接コーチに抗議して改善を求めましたが、結局、息子たちは千代田を辞めて、地元のMSC (Minato Soccer Club )に移りました。

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[ オーストラリアへの出発前、東京での練習風景 ]

「息子2人一緒」が条件でチーム探し

ーーオーストラリアに引っ越されてから、すぐにサッカーチームは見つかりましたか?

夫は転勤が決まって、一足早く2013年11月にシドニーに赴任しました。私と子どもたちは翌2014年1月に到着しました。子どもたちはシドニーで日本人学校に通うことになっていたので、サッカーを通じて、地元のオージー(オーストラリア人)の友達を作ってほしいと思っていました。
事前に地元のサッカーチームを調べて連絡もとっていたのですが、当初は在留期間が1年の予定だったので、息子たちはクラブチームのトライアウトを受けられず、練習にも参加できなくて、日本人のサッカーコーチをネットで探して、技術指導のレッスンを受けていました。

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[ オーストラリアでは、日本人コーチのレッスンを受けることも ]

2014年3月頃、息子2人が現地でトライアウトを受けて、最初に入ったのが「ノース・シドニー・ユナイテッド」というチームです。「2人一緒が条件」と言って入りましたが、練習時間は別だったので、待ち時間に、フィールドから15分くらいしたところにあるスーパーのカフェで宿題をさせたりしていました。シーズンが始まると二人ともローカルチームの試合に呼ばれるようになりました。

ーーオーストラリアでは、どのようなサッカー生活でしたか?

チームの練習は週3回で、週末に試合がありました。息子たちは平日の日中は日本人学校に通い、学校が終わってからバスで片道1時間以上かかる練習場に通っていました。私は当初は車を運転していなかったので、2人分のサッカーのバッグを持って子どもたちと待ち合わせして、2人を練習場まで送りました。2人の練習時間が違ったので、幼い娘と一緒に息子たちの練習が終わるのを待ち、母子4人で夜遅く帰宅する毎日でした。オーストラリアでは、子どもから少しでも目を離すと、「虐待」と受け止められます。私がトイレに行っている間、子どもたちを待たせていたら、警備員さんに叱られたこともあります。
練習場は国立公園かと思うような雄大な自然のなかにあり、見たことがないような鳥がいました(笑)。周りには、夜まで空いているカフェもありません。幼い娘は外で兄たちを待ちながら絵を描いていました。チームメイトの保護者が気の毒に思って、車のなかで待つよう声をかけてくれたこともあります。

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[ サッカーの待ち時間は宿題タイム ]

ーー子ども3人を連れてバスでの送迎は大変ですね。

シドニーの赴任は、当初1年と聞いていました。ところが、夫の在留期間が3年に延びてしまいました。そこで、車の免許をとりました。車がない時は、サッカーの試合の時はチームメイトの保護者に連れていってもらうようお願いするなど、息子2人の調整が大変でした。車を運転するようになって、練習に行くのも試合に行くのもだいぶ楽になりました。もっとよいクラブはないか探し、ドイツのオーストラリアのメソッドを実践するチームに入り、2つのチームをかけ持ちしていたこともありました。子どもの長所を生かしてくれるコーチで、長男はとくに気に入っていたのですが、練習に行くのに片道1時間半かかり、遠すぎました。

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[ 試合会場の高校。広大で、正門からフィールドまで30分ぐらい歩いて到着 ]

そして最後に辿りついたのが、「モンゴ・フットボール(MONGO FOOTBALL)」というアフリカ人とオーストラリア人がコーチのチームです。AからCまでレベル別に分かれていたほか、さまざまな体験を重視し、ニュージーランドや日本への海外遠征をすることもありました。毎週金曜日は、グラウンドに大音量でノリのよい音楽を流して練習し、アフリカっぽい雰囲気もありました(笑)。
チームメイトでもっとも多かったのは地元のオージー(オーストラリア人)ですが、イギリスからの移民、韓国や中国などのアジア人もいました。

ーー海外遠征というのはすごいですね。

コーチは元プロサッカー選手で、ニュージーランドにホームステイして大会に出るとかいろいろなことを企画していました。日本で参加する大会は、私の実家がある群馬県高崎市が会場になると聞いた時は、びっくりしました。長男のチームが大会に出場したので、長男は別の家庭にホームステイし、私と次男と娘は高崎の実家に泊まりました。ちょうど夏休み中で、日本はものすごく暑く、群馬の湿気は子どもたちが経験したことのないようなものでした。実家の母や姉、妹がチームのために車を出してくれたり、氷や100円ショップの濡れタオルを差し入れたりしてくれました。コーチはそんな苦労も含めて経験をエンジョイしようとするタイプの人でした(笑)。

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[ 2016年、長男がMONGOのチームで群馬県の国際サッカー大会に参加 ]

キーワードは「アンラッキー」

地元の日本人は自分が所属するチームの練習のほかに、スキルアップのため、日本人コーチのサッカースクールに通っていました。地元のサッカーが上手な子どもたちが目指すのは、「ナショナル・プレミア・リーグ」(NPL)の「SAP」(Skill Acquisition Phase)ですが、スクールにはSAPチームの子たちも来ていました。日本人コーチのスクールはほぼ毎週あって、1回15ドル。2、30人ぐらい集まっていたと思います。
日本人の子どもたちは足元のスキルがすごいといわれていて、オーストラリアで育った日本人の子どもたちも日本人のコーチのレッスンを受けて、技術向上を目指していました。その時に知り合ったコーチが5、6人いて、SNSを通じて仲良くなり、いろいろな情報を教えてくれました。


ーーオーストラリアの少年サッカーは、日本と違いがありましたか?

オーストラリアのスポーツといえばラグビーだけど、サッカー熱もすごくて、人気があります。だいたい周りの50%ぐらいの子どもたちがサッカーをしていました。


[i] オーストラリアでは、日本のJリーグ(J1)にあたるのがAリーグ、その下のJ2にあたるのがNPL(ナショナル・プレミア・リーグ)。NPLの各チームの小学生育成プログラム(U9〜U12)をSAP(Skill Acquisition Phase)と呼び、各チームごとにトライアウトがある。オーストラリアのAリーグには、三浦和良選手や本田圭佑選手ら元日本代表選手らも所属したことがある。


オースラリアの子どもたちのサッカーの試合で、よく聞いた言葉が「アンラッキー」でした。シュートをはずしても「アンラッキー」。「次があるから、がんばれ」とつねにポジティブ思考なんです。
チームのコーチも感情的に怒らないし、前もって「ああしろ」「こうしろ」と指示することもなく、自分で考えさせるような指導だったのが印象的でした。試合中は、あまりうるさく指導しません。「それはなぜですか?」と聞いたところ、「子供たちが自分の頭で考えて、動けるようになることが1番大切だから」と言っていました。
日本では、少年サッカーチームで、小学生に対して「やる気が無いならやめちまえ」「お前向いていないんじゃない?」「そんなでプロになれると思うなよ」とひどい言葉で言われているケースを見てきました。子どもが都内の強豪チームに誘われ、練習に参加したこともありましたが、コーチの態度や言葉にびっくりしたようで、子どもから「あのコーチたち、みんなやくざなの?」と聞かれたこともあります。私は、そういったコーチは少年サッカーの指導者として不適格だと思います。
オーストラリアには、いつでも自由にサッカーできるようなフィールドもたくさんあります。日本はとくに都心だとサッカーができるような場所がほとんどないので、ありがたかったです。

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[ 開放されているフィールドがあちこちにある ]

――保護者のかかわり方は、いかがでしたか?

我が家は私(母親)がサッカーの送り迎えをしていましたが、オーストラリアでは父親の姿のほうが圧倒的に多かったです。午後5時以降はフリータイムで、平日夜、練習場にたくさんの父親が来ていました。
チームでBBQをやるボランティアにも参加したことがあります。その収益がチームの運営費になっていました。

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[ オーストラリアのサッカーフィールドは、”サッカーダッド”だらけ ]

帰国後、それぞれの道

2人ともFC千代田に戻りました。FC千代田の保護者の方々とは、オーストラリア滞在中もずっと、連絡をとり続けていました。コーチは全員が日本人になっていて、指導も日本語になったと聞いていました。怒鳴るような指導もなく、楽しくサッカーを続けることができました。平日は週3回練習し、週末は試合であちこち行きました。FC千代田のホームグラウンドは埼玉県・三郷なので、東京からの長距離ドライブにも慣れました。
ただ、長男は日本的なサッカーを続ける気はなく、高校(インターナショナルスクール)ではサッカーのバーシティ(代表チーム)に入り、キャプテンも経験しました。インターはシーズンによってスポーツが変わるので、バスケットボールやバレーのバーシティにも誘われ、一年中スポーツ三昧です。(※2022年9月から大学生)小さいころのチームメイトが仙台育英高校に入って、高校の全国大会に出場したので、テレビを見ながら家族で応援しました。
次男は中学3年のとき、横浜市のクラブチームのセレクションを受けて合格し、今はそこでサッカーを続けています。

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[ 長男〈写真右〉は、インターナショナルスクールでサッカーを続けた ]

ーーサッカーを通じて、何を得たとお考えですか?

息子たちはサッカーを通じて、学校以外の友達が増え、SNSでずっとつながっています。
コーチやチームメイトの保護者などさまざまな大人たちとの出会いもあり、そこから仕事のことなど大切なことをたくさん学びました。子どもだけでなく、親も成長させてもらったと感じています。
次男は帰国後、オズグッド(病)で1年間、プレーできませんでした。高校でも怪我が続いています。練習はハードだし、場所も遠いし、荷物も重いし、よくやるなあと思います。本人の夢は子どものころから変わらずプロ選手ですが、私は「いつでも方向転換していいんだよ」と言い続けていますが、彼の情熱は変わらないようなので、応援し続けたいと思います。
今の横浜市の所属チームは上下関係がほとんどなく、学年を超えて仲がよいそうです。息子は、アメリカにサッカー留学する上級生に直接、ノウハウなどを聞いているようです。サッカーを通じて、息子の成長を実感しています。

(2022年9月17日)