中村陸八
中村陸八(なかむら・りくや)さん

1997年。東京都生まれ。ICU(国際基督教大学)卒業後、2021年、税理士法人に就職。
三菱養和SC巣鴨ジュニア(東京都トレセンU11、U12)→三菱養和SC巣鴨JY(東京都トレセン、中学2年のときにドイツ短期留学:1か月)→桐蔭学園高校(東京都トレセン)→ICU大学サッカー部(大学2年夏から1年間、ドイツ留学:1年。その間、休学)→税理士法人(EY税理士法人)

ーーいつごろからサッカーをはじめましたか?

はじめて意識してサッカーをするようになったのは東京都練馬区の幼稚園の時でした。幼稚園児がボールを蹴るには十分な広さのグランドがあり、体育の授業に力を入れていたのがきっかけでした。

体育の先生が、三菱養和のサッカースクールに通うことを勧めてくださり、本格的にサッカーを始めました。当時は周りより足が速く運動神経もよかったため日に日に上手くなっていくのが楽しくてどんどんサッカーを好きになっていったのを覚えています。

ーープロを目指していましたか?

小学校1年生の時にはサッカー選手になると決めていました。中学の終わりごろまではプロになるつもりでしたが、ユース昇格の選考にもれ、高校に入学したあたりから徐々にプロにはなれないだろうなと思い始めていました。

ーーなぜ三菱養和巣鴨JYを選んだのでしょうか?

スクール→ジュニアと生粋の「養和っ子」だったこともあり、JYで他のチームに行くという選択肢は考えていませんでした。

ジュニアの時の記憶でお答えしますと、まずは各年代の監督やコーチがスクールの現場にも立っており自分のことをよく理解してくれているというのは大きな要因でした。ジュニア時代の実体験から言いますと、「プロになるために」というより「一人のサッカー選手として」指導してくださっていました。ゆえに、小学生だからという手加減なしに厳しく高い要求をされることも多く、落ち込むことも多かったですが(パワハラではありません、、)。

当時の養和のサッカーはJ下部のようにずば抜けた選手がいるという訳ではなかったので、基礎技術を重視したパスワークが特徴でした。小学生のわりに大人びたプレースタイルだったので地域予選では会場全体がとても「アウェイ」の空気だったのを鮮明に覚えています(審判も含む笑)。身体能力が高いわけではなかった自分にとっては適切なチームだったと思います。

ポジションは、そのころからずっと、FW、トップ下(MF)、サイドハーフ(MF)あたりです。

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三菱養和JY時代にドイツに短期留学

ーー三菱養和巣鴨JYのときに、ドイツに短期サッカー留学したそうですが、なぜ、ドイツに行こうと思われたのでしょうか?

中学生時代のドイツ留学は、私の意思ではありませんでした(笑)。当時反抗期だった自分をみかねた両親が「もう一回海外に飛ばそう」と考えたようです。いやいやながら、渡独したのを覚えています。期間は、中学一年生の夏休みで一か月間でした。周りにはサッカー留学で行くというのは恥ずかしかったので親の仕事についていくということにしてもらいました(笑)

ーー日本のサッカーとの(練習方法なども含めた)違いはありましたか? 

よく聞く話ですが、小学生や中学生ぐらいまでは日本人の技術レベルは世界の中でも非常に高いとされています。そのために、年齢より1歳上のカテゴリーに所属することができました。十分に通用していたと思います。

日本との違いがあるとしたらドイツの方がゲーム形式の練習時間が長く取られていた気がします。チームによるとは思いますが実践を重んじる傾向にあったと思います。言葉もできない中で自分のプレゼンスをだすためにはゲーム形式が手っ取り早く、実際にそこで信頼を勝ち取れたことは自信にもなり、楽しく感じました。

ーー何を得て、日本に帰国しましたか?

海外でやれたことに対してある程度の自信を持った気がします。一方で本当に日本と海外のレベル差はいつから生じるんだろうという疑問をもったのも覚えています。

また、サッカー留学会社を通していたため、会社の用意している日本人寮に住むことができ、プロを目指す人がどんな生活をしてどんなことを考えているのかを知るいいきっかけになったと思います。

ーーその後のサッカーにどう影響しましたか?

1ヵ月だけだったということがあり、サッカーのプレー自体には大きな影響はありませんでしたが、サッカー人生に対する視野と選択肢がとても広がったのを感じました。

今いるチームや日本という場所が全てではなく、いつだって外にでてやろうという選択肢を常に頭の片隅に持つことができたのはその後の人生に大きく影響したと強く感じています。

桐蔭学園で高校サッカー

ーー高校で、桐蔭学園を選んだのはなぜでしょうか?

2つ理由があります。

1つ目はまず養和のユースチームに昇格できなかったことです。ただ、元々高校サッカーには興味を持っていたので、すぐに高校探しにきりかえることができました。

2つ目は文武両道であることです。プロを目指すだけなら全寮制の強豪校やJクラブとのパイプの強い高校を選んでいたかもしれませんが、このころからサッカー選手以外の道を常に考えることのできる場所や環境を好んでいたと思います。関東圏で文武両道、選手権の全国出場を狙えるところで絞ると必然的に桐光・桐蔭・久我山あたりに絞られ、桐蔭のみ合格したという経緯です。

ーー桐蔭学園高校のときのサッカー生活はいかがでしたか?

練習日は週6日で、月曜日のみオフでした。週3回程度、朝練もありました。

練習時間は2時間で効率よく行っていました。ほぼ毎回フィジカルトレーニングがありメンタル的にもとても鍛えられたと思います。練習も頭を使わせるような制限やルールが設けられたものが多かった気がします。

特に3タッチアンダーのゲーム形式の練習では判断の速さやファーストタッチの置き所を徹底的に鍛えられてたと思います。

メンタル的にはきつかったです。全体でAからFチームまで、6カテゴリーありました。入学前からAチームに入れていただき期待していただいたとは思うのですが、その分評価は厳しく、Bチームや、Cチームに落ちたこともあります。落とされるたびに当時の課題を提示されクリアしていきました。

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ICU大学時代に、再びドイツへ

ーー進学先に国際基督教大学(ICU)を選んだのはなぜでしょうか? ICU大学のサッカー部の生活で、楽しかったことや、そうでなかったこと。

3つ理由がありました。

1つ目は国際的な勉強ができる大学であること

2つ目は受験方法

3つ目は母の母校であり、親しみがあったこと

です。

中学生の時の留学経験から、やはり海外への興味は強く持っていましたが、高校の部活と留学の両立は物理的に不可能であり、サッカー選手の夢もほぼ諦めていたので、大学では海外とつながりを持てる環境に身を置こうと決めていました。

そうはいっても3年間サッカーのみに時間を費やしていたため受験勉強をするには私立文系に絞らざるを得ませんでした。しかしたまたまのぞいた高校の指定校推薦一覧にICUの名前を見つけ、幸い成績条件も満たしていたため応募でき、通過することができました。

ICUのことは母や母の友人から話を聞くことが多く、キャンパスもアメリカの大学のようで気に入っていました。特に構内に人工芝のサッカーグラウンドがあるのがとても魅力的でした(笑)。

ーーICU大学のサッカー部は、どんな雰囲気でしたか?

ICUのサッカー部は、自分が入部したときには、東京都の4部という、一番下のカテゴリーにいました。翌年3部に昇格しましたが、その後、4部に落ちました。3年のときには、ゲームキャプテンをやらせてもらいました。

このころは、ボランチをやっていました。

高校までは自分と同じようなサッカー遍歴をもち、同じようなレベルの人が集まった集団でした。一方で大学では、初心者の人から全国経験者まで多種多様な人が集まっていて、色々な考え方や取り組み方を学ぶことができました。

自分の頑張り次第で、勝ったり負けたり、戦術面などでもリーダーシップを取れることに喜びがありました。

大人つまり監督やコーチがおらず、自分たちでマネジメントしていました。自分たちの環境を自分たちで作るという経験は他大学では得ることのできない経験でした。

一方、次第に部員も増え、サッカーの技術面では、専門的な指導ができる監督を呼んだほうがよいという意見も出てきて、自分が大学3年のときに、当時のキャプテンが中心となりスポンサーからの支援も得て、外部から監督を招聘しました。そうした効果もあって、いまは、ICUは東京都2部まで昇格しています。

ーー大学2年のときに、ドイツに再びサッカー留学されたのはなぜでしょうか?

チームがなかなか勝てない状況で、自分のプレーをもっと向上させねばと強く感じていたときに、タイミングよく千葉県で開催されたブンデスリーガチャレンジというセレクションを受けたのがきっかけです。

ドイツへのサッカー留学というより、単純に、上手い人とやりたいからという理由でセレクションに参加しました。しかしそこで中学の留学時代にお世話になった山下喬さんに再会しました。山下さんは、ドイツのマインツで岡崎慎司選手と一緒に、日本人が欧州で活躍するために入りやすいチームを作った方です。

色々お話を伺っていく中で、選手以外のサッカーへの関わり方もあるのだと気づきました。さらに選手ではなくサッカーに関わるためには本気でプロを目指すことがどういうことなのかを体験することも必要だと感じました。

幸い、セレクションにも合格できたので、サッカー選手をしながら、山下さんがオーナーであるマインツのクラブ「FCバサラマインツ」のインターンも兼ねる形で渡独することを決めました。

ドイツ6部リーグで、給料をもらう

ーーどのチームに所属され、どのような生活だったでしょうか?

選手としては、「FV Biebrich 02(エフファオ ビーブリッヒ ヌルツヴァイ)」というブンデスリーガ6部のチームに所属していました。住んでいたのはマインツで、その隣の市のクラブでした。

元プロの選手も数名所属している古豪のチームでした。天然芝のホームスタジアムも所有しており、それ以外に人工芝の練習場も2面あって、日本では考えられないような環境でした(ドイツでは普通のようですが、、)。移動はバスが手配され、給料は、固定給以外に、試合に勝つともらえる勝利給もあり、よく勝った月は10万円を超えることもありました。待遇としてはセミプロとアマチュアの間くらいでした。

幸い、シーズンの途中から、レギュラーの座をつかむことができ、リーグ戦では8得点をあげることができました。

練習は週3回程度。試合の前日は必ず休みます。試合の翌日は、クールダウンの日で、軽いランニングと鳥籠ぐらいです。日本に比べて、練習量は少ないですが、集中してやっており、試合の前後の休養も含め、怪我をしないようによく考えられていると思いました。

朝にジムにいき、昼はインターンを行い、夜は練習にいくという生活をしていました。

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ーー中学時代と大学時代のドイツのサッカーの違いがあれば教えていただけますか?

年代が違うと、こうも変わるのかと驚きました。

まずは中学時代のような歓迎のムードは、なかったです。中学の時はむこうから積極的に話しかけてくれ、名前で呼んでくれました。大学時代では言葉が話せない東洋人には興味はないようで、名前ではなく日本人(ヤパーナ)と呼ばれました(笑)。

ただ基本的にはフレンドリーではあるので、話しかけたり、覚えたてのドイツ語でジョークを言っているうちに打ち解けていくこともできました。英語は、あんまり通じませんでした。

ただ、一番の解決策はとにかく結果を残すことだと、すぐに理解しました。ここが中学時代と大学時代の差だと感じました。

もちろんフィジカルや球際の強さ、試合の展開がダイナミックであるといった特徴もありましたが、すべては「点を取るため」のプレーであることが中学と大学の違いであり、アマチュアかプロか問わずストイックな考え方をするのだと感じました。

日本とドイツのサッカーの違い

ーー日本のサッカーとドイツのサッカーの違いはどのように感じましたか?

評価のされ方が違うなと感じました。サポーターや監督が「いいプレー」「悪いプレー」「使いたい」「使いたくない」と判断する基準が日本と全然違うように思いました。

日本では巧いプレーや魅せるプレーで観客は沸きますし、きれいなパスやシュート、ドリブルが多くみられますし評価されることが多い気がします。

しかし、ドイツでは1対1で勝った時や、相手からボールを奪うプレーが最も評価されます。何人抜いたかよりも点を取ったかどうか、試合に勝ったかどうかが重要視されていました。

これは言葉にも出ていた気がします。日本では1対1といいますがドイツではZweikampf(直訳すると1対1の‘闘い’)といいます。最近では遠藤航選手がこのZweikampf能力がブンデスでトップであると話題になりました。そんなデータを取っていて話題になるくらい評価項目として主流であるという事です。

また、ドイツ人の方が自分自身の事をよく理解しているなという気がしました。まずプレー面においては自分のストロングポイントを理解していて、そのプレーを磨いて周りにアピールしていました。

そしてPKやFKといった得点シーンは絶対に譲らずゴール前では異常なほどパスを要求してきました(笑)。私生活では、自分のモチベーションや感情がどうやったら上がるかをよくわかっており、試合前のルーティンを持っていました。そしてオンとオフの切り替えがはっきりしているように感じました。

ーー指導者や、クラブ運営の違いは、いかがでしたか?

指導者については、私の所属していたクラブがプロクラブではないこともあってか日本と比べてそこまでこまかいプレーの指示などはされませんでした。試合のビデオをみんなで見返すなんてこともありませんでした。一方で選手のモチベーションをあげる術は心得ていたと思います。試合前のMTGはかならず熱い言葉をかけてはっぱをかけられました。

クラブの運営では、サッカー以外のスポーツチームを持っているチームが非常に多かったです。故にホームゲームには多くのファンや子供が見に来ていました。また、ほぼ100%試合の入場料をとったり物販を併設していて、試合収入を得ていました。日本のアマチュアクラブの試合とは全く違う雰囲気であったと思います。

また、ドイツでは6部にもかからず、備品の管理やユニホーム等の洗濯などは、チームのスタッフがやってくれました。

ドイツの6部は、日本の東京圏でみると、J1〜J3、JFL、関東リーグ1、2部とあるので、関東リーグの2部ぐらいの位置付けだと思いますが、関東リーグで、ユニフォームの洗濯をやってくれることはないでしょう。

とにかく選手にはプレーを最優先にやってもらおうという気持ちを感じました。ユニフォームをみるとわかりますが、どんなクラブでもスポンサーが多くついています。スポーツを支えるという文化をとても強く感じて驚きました。

ーー大学時代のドイツ留学では、何を得たでしょうか?

まずはクラブ運営側として必要なスキルや試合の裏でどんなことが起きているのかというのをたくさん経験することができました。具体的には設立間もないクラブをどうやって大きくしサポーターを増やせるのかといったことです。

また、ファイナンス面では選手の給料がどのように支払われているのかといった仕組みを知ることもできました。これは選手をしていただけではなかなか意識することはできないものではないかと思います。

プロを目指す選手と同じ場所で暮らし一緒にトレーニングをしていく中で、選手はどんなことを考えているのか、選手間でどんな違いがありどういう選手が成功するのかを間近で見ることができました。中学時代もそうでしたが、自分の考え方や視野が、爆発的に広がったと思います。

痛感したのは、選手としてドイツ人クラブに所属する中でとにかく結果を残すことで信頼を得たり、交友が広がるという事です。

たしかに言語も大切です。しかし、なにより相手の求める役割を全うすることが一番有効な手段であると、身をもって体験することができました。

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ーー再び日本に戻ったときに、サッカーや勉強などに、ドイツの影響はありましたか?

サッカー面では、ICU大学では、楽しさを重視してやっていたのでそこまで変化はありませんでしたが、球際の強さや体の使い方などはうまくなったなと感じました。

勉強では第二外国語ができると勉強の幅が広がりました。経済学や経営学を勉強する際にはドイツの偉人やドイツ語が出てくることもあり文献などもより親しみを持って読めるようになりました。

また、こちらは後述しますがドイツでの経験を経て、視野が広がりサッカーへのかかわり方も柔軟かつ真剣に考えることが増え、職業の選択にも大きな影響がありました。

ーー職業選択に、どういう影響があったのですか?

現在私は、税理士法人で働いています。マインツで、インターン生としてクラブ経営に関わる中で、ファイナンスに特に興味を持ちました。クラブオーナーである山下喬さんとお話しする中で、スポンサーをいかに集められるかがそのクラブの存続を左右するほどの大きなことであると理解しました。

選手の給料はもちろんその他人件費や設備の維持、試合の運営など様々なところでファイナンスは必要不可欠なものでした。そしてこのファイナンス面からクラブを支えるその姿にとても魅力を感じました。

その中でもなぜ税理士なのかというのにも理由があります。選手としてクラブから給料をいただく時に常にオーナーからの現金手渡しでした。その時にふと、このお金はどこから来たもので正式なお金なのか、源泉徴収はあるのかなどを考えました。

それがきっかけでサッカークラブの税金という面に興味を持つと同時にサッカークラブも会社なんだと気づきました。

これらのことから、ハイレベルな会計税務の知識を身につけ、将来サッカークラブの経営にかかわれるようになりたいと考えて、現職に就きました。

サッカーによって得たこと

ーーサッカーを真剣にやってきたことが、自分の人格形成にどのように生きていると思いますか?

サッカーが私の人格形成をしたといっても過言ではないと思います。中でも特に大きなものとして①チームで達成することが好き②人と違うことに挑戦することをいとわない③色々な考えや人を受け入れられる、という3つを挙げます。

やはりチームスポーツを長年してきたため個人で達成するものよりチームで協力して一つのことをやり遂げるという事に対してやりがいと魅力を感じるようになりました。

また、ドイツ留学や現在の仕事もそうですが、難しいことや未経験のことに対しても考えるよりもまずは挑戦してみようと考えられるようになったのはサッカーのおかげだと思います。そして最後にサッカーを通して色々な人に出会うことができました。年齢や人種、性格や経験など様々な方々とサッカーを通してつながることで、多様な考え方を受け入れられるようになりました。

ーー今後もサッカーは趣味などの形で続けたいですか?

今も実際に趣味として続けていますが、グラウンドの確保や11人そろえることが難しく、フットサルがメインになっていますが、ボールを蹴ることはずっと趣味として続けていくつもりです。

ーー将来、サッカービジネスなどにかかわりたいという思いはお持ちなのでしょうか?

はい。ドイツ留学の目的でもあったサッカーに裏方として関わりたいというのは今も変わっていません。最近は会計士や税理士がオーナーを務めるクラブであったり、CFOという役職を設けているクラブもあります。移籍金や放映権などファイナンスの力がより重要視されるフェーズに入ってきていることは間違いないと思うので、そういった中で自分がどういったポジションを担うことができるのかを今後も考え、実際にサッカークラブで働くことを目標にしています。

(2022年9月30日)