中西 裕太郎さん(なかにし・ゆうたろう)さん 1994年、埼玉県朝霞市出身。小学校1年から本格的にサッカーを始める。プロサッカー選手を目指していた高校時代に、病気で夢を絶たれた。その後、起業に関心を持ち、株式会社インフラトップ(現・DMM Group)の創業メンバーとして事業責任者を務めたのち、株式会社リクルートキャリア(現・リクルート)で新規サービスの商品企画・事業開発を担当。2018年に同社を退職し、ウェルネス関連事業の株式会社TENTIALを創業した。2023年8月、ビジネス誌『Forbes JAPAN』が、世界を変革する未来のイノベーターの発掘を目的に30歳未満の人物を選出する「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」の一人に選ばれた。 |
ーー中西さんは埼玉県の西武台高校でインターハイの全国大会にも出場されたあと、狭心症で入院され、プロサッカー選手への夢を断念されたそうですね。いつごろ病気がわかったのでしょうか?
そのころ、西武台高校は、少し上の先輩たちの代が、インターハイで全国3位にもなったり、プロになった先輩もいて、自分もやれる(プロになれる)のではないかと思っていました。今振り返ると、ちょっと強い高校で、ちょっと目立ったぐらいなので、たいした選手ではなかったのですが。病気がわかったのは、高校3年の夏ですね、狭心症と診断され、カテーテル手術もしました。ずっと入院したり検査したりで、もうスポーツでやっていくことはできないと思いました。
ーーそのときは、どんなお気持ちでしたか?
かなり落ち込みましたね。僕自身はちゃんと勉強するようなタイプではなく、そのかわりにサッカーがあって、サッカーに逃げていたところがありました。その「唯一の救い」がなくなり、自暴自棄になってしまいました。
ーー僕も、中学3年の終わりに、高円宮杯の全国大会に出た直後に、心臓病がわかり、カテーテル手術をしました。その後、医者から「不整脈で、サッカー部には復帰できない」と言われて、絶望的な気持ちになりました。中西さんは、何か立ち直るきっかけはありましたか?
結構時間がかかりましたね。1年半ぐらいかかったかなあ。高校3年で勉強に切り替えてちゃんと大学受験する人もいますが、僕は受験もせず、女の子と遊んだりして、逃げていました。埼玉から大阪まで、ママチャリで行ったこともありましたね(笑)。遊び尽くして1年ぐらいたって、「このまま遊び呆けても何も変わらないな」と冷静になったころに、アメリカのオバマ大統領の演説に出会ったんです。
オバマ氏の演説を機に、プログラミングの道へ
ーーどんな演説ですか。
プログラミングやコンピューター・サイエンスの重要性を伝える内容でした。「新しいビデオ(テレビ)ゲームを買うだけでなく、(ゲームを)自分でつくりなさい」という言葉が印象に残っています。何か自分で作ったり、生み出したりするということに興味を覚えました。父が、もともとIT関係の会社にいたこともあったので、その影響もあったのかもしれません。プログラミングで、自分の未来を変えられるかもしれないな、と思いました。自分はプログラマーとしてはたいしたレベルにはならなかったと思いますが、プログラミングの教育事業をやろうという方がおられて、声をかけていただきました。それが最初のベンチャー企業の立ち上げですね。社会人向けのプログラミング教育を行う「インフラトップ」という会社でした。のちに、オンライン英会話などの事業を行っている合同会社DMM.comに、買収されました。
ーーそのあとリクルートに入られたのですね。
声をかけてくれたのがリクルートキャリアでした。リクルートはみなさん、大学を卒業したり、ちゃんとした企業から転職してきた人ばかりでした。僕はまだ21歳で、最年少でした。新規事業の計画をたてる部門のようなところに入れてもらって、そこで、大人のちゃんとしたビジネスの世界を経験できました。在籍したのは1年半でしたが、とても良い勉強になりました。
ーーずっとリクルートに勤めるという選択肢はなかったのですか?
やっぱり自分で何かチャレンジをしたいという思いが強かったですね。いろんな方の反対もありましたが、(TENTIALの)起業に踏み切りました。僕は今年29歳なのですが、創業したのは23歳のときでしたね。
ーー大学に行こうと思ったことはないのでしょうか?
単純に、時間がもったいないということがありました。それと、自分が勉強して、確実に「勝てる」かどうかわからなかった。僕の回りで大学に行った人たちの中で、何かを変えた人が見つからなかった。大学に行った人に「負けたくない」という気持ちもあったかもしれません。いまさら、そういう普通のルートに戻るのが、何かちょっとダサいというか、もっと「自分らしく生きたい」という気持ちがありました。
20年で「世界的ブランド」を目指す
ーーまわりの方に心配はされませんでしたか?
親とか、中学や高校の同級生の保護者とかに、めちゃくちゃ心配をされました。いきなりプログラミングとかITとかで、「ちょっと怪しいことをやっているのではないか」とか(笑)。ベンチャーをやっていますと説明しても、なかなかわかってくれるコミュニティーではなかったです。今はもう、わかってくれていると思いますが。
ーー起業後、インソール、マスク、疲労を軽減できるパジャマのBAKUNEなど、次々とヒット商品が生まれました。なぜ、そのような成功が可能になったのでしょうか?
僕たちの会社は、「身体を充電するツールで、生涯を通じて挑戦する人を支え続ける」というビジョンを掲げています。ちょっとわかりにくい概念かもしれませんが、僕たちが送り出す製品は、「身体を充電するツール」だと思っています。iPhoneとか電化製品というのは、毎日、充電していますよね。でも、案外、自分の体は充電していない人が多い。どんなに立派な体でも、ちゃんとメインテナンスしなかったり、充電したりしなければ、使えなくなってしまいます。そのようなコンセプトのもと、きちんとした実験、エビデンスを取って、品質にこだわった製品を出していることが、多くの方に受け入れられているのではないかと思います。
ーーNIKEやニューバランスに並ぶような「世界的ブランド」を目指されているという記事を読みました。すごい夢ですね。いつごろまでに世界的なブランドに、という目標はありますか?
僕は60歳ぐらいまでしか生きられないのではないかと思っていて、これは思い込みなんですが(笑)、それを考えると、今から30年がリミットですね。スポーツ、サッカーではチャレンジできなかったけれど、ビジネスという世界でチャレンジしたいですね。僕の会社は、健康に重点を置くウェルネスカンパニーなので、NIKEのようになりたいわけではないけれど、彼らがスポーツを通じて世界で評価されているのは事実です。彼らが(世界的ブランドになるまで)30年かかったのなら、できたら20年ぐらいでそこまで行きたいな、という気持ちはありますね。
プロ選手への未練はない
ーープロサッカー選手への未練はありますか?
それは全くないですね。今はむしろ、スポーツ選手にならなくてよかったと思っています。プロスポーツ界の方々とおつきあいはありますが、プロの選手になるというのは、すごいことだと思います。ただ、例えて言うと、「離島」で生活するような感じなのではないかと思います。「離島」にいて、そこで引退してしまうと、本土に戻ってくるのが大変です。
ーーどういう意味で大変なのでしょうか。
「離島」での経験が、本土に戻ってきたときに生かせるかというと、やっぱり経験が分断されてしまっているところがある。もちろん、スポーツの世界から学べるものはあるのですが、引退すると、ほぼゼロのところからビジネスパーソンとして出発しないといけない。長い人生を考えたときに、本当にスポーツをやっていてよかったと言える人は、ほんの一握りなのではないかと思います。
ーーその分断を埋めたいという思いはありますか?
なんとか変えたいと思っています。なので、うちでもアスリート出身の選手を、セカンドキャリアとして、雇用していますし、インターンなども受け入れている。スポーツ選手は本来、すごくポテンシャルがあります。なので、スタートアップとかベンチャー企業が中核となって、社会に必要な人材であることをアピールして啓蒙していきたいです。ただ、実績というか、「成功事例」がないといけない。そのためにも、僕自身もビジネスの世界でちゃんと成果を出し、「戦えるぞ」というところを証明していきたい。
もう一つ大事なのは、選手のほうが、「自分はサッカーしかできない」とか、「セカンドキャリアとしては、コーチで生きていくしかない」などと思わないでほしいということです。かつての自分もそうですが、「自分は学歴がないから」と思う必要もない。自分自身で「壁」を作ってしまっている方も多いと思います。
スポーツはビジネスより残酷。ゆえに学びもある。
ーーそんなことはないと。
サッカーもほかのスポーツでもそうですが、まず足が速い人とか、ジャンプ力がすごい人とか、これはもう生まれつきもあります。どんなに頑張っても、フィジカルの差が埋められないケースも多い。それに比べて、ビジネスは、楽です。ちゃんと本を読むとか、ITスキルを身につけるとか、努力したら差は埋められるんですよ。「ITができない」という前に、少しがんばってみてほしい。スポーツのほうが、よほど大変で、残酷な世界だと思いますよ。
僕自身、サッカーで十分な才能があったわけではなく、コツコツやってきたタイプなので、ビジネスでも一つ一つ積み上げている感じがあります。スポーツを頑張ってきた人がビジネスの世界に入ったときに、1年目でいきなり活躍はできないかもしれない。でも、2年、3年とやっていけば、戦える人は多いと思います。
ーーサッカーとかスポーツを真剣にやることで、仕事面でも生かせることはあると思いますか?
それはあると思いますよ。サッカーでいえば、小中学生のころから、トレセン(地域や都道府県などのトレーニングセンターへの選抜選手)に選ばれるかどうか、などで激しい競争がある。小学校のときのチームで10番をつけていたとしても、ほかのチームでもっとうまいやつがいる。子供のころから、「あいつがトレセンに選ばれたのに、俺は選ばれなかった」「あいつはJ下部チームに行けるのに、なぜ俺は‥」などと悔しい思いをする。さっきも言いましたが、スポーツは残酷な世界なんです。その経験は貴重だし、そんな厳しい競争を経験をしてきた人にとって、ビジネス上の競争なんて、むしろ軽いのではないでしょうか。
あと、真剣にチームスポーツをやって、勝負の世界において、大会で優勝するとか、全国大会に出るとか、さらにすごい人だと日本代表になって世界と戦うとか、そういった高いレベルでやる経験がある人とない人では、何かが違う。会社もチームですからね。そういうマインドや経験というのは貴重だと思います。
ーー最後に伺います。TENTIALのミッションは、「健康に前向きな社会を創り、人類のポテンシャルを引き出す」だそうですね。社会へのインパクトという意味で、TENTIALはどういう存在をめざしておられるのでしょうか?
正月に、神社にお参りすることってありますよね。神様って、見えないけれど、神様に頼ればなんとかしてくれるのではないか、助けてくれるのではないか、という思いを持つことは、だれでもあると思うんです。
僕らは、神様をめざしているわけではないですが、「健康のよりどころ」ではありたいとは思っています。つまり、TENTIALというロゴマークが入ったものを身につけたり、ロゴを見ていただいたりしたいときに、「健康に気をつけよう」とか、「何かに挑戦してみよう」とか、「もうちょっと頑張ろう」とか、そう思っていただけるような存在になりたい。社会から、そういう存在だと認知してもらえるように、これからも頑張っていきたいですね。