辻本晴輝
辻本晴輝 (つじもと・はるき)さん

2006年、川崎市生まれ。2012年5月〜2021年2月(6歳〜15歳)まで、父親の転勤で香港に滞在。香港では「Hong Kong Football Academy」「Brazilian Football Academy」「Hong kong Football Club」に所属。日本に帰国後は、調布市を拠点とするクラブチーム「Raiz Chofu U18」に入団。国際基督教大学(ICU)高校在学中。

ーーいつごろからサッカーをはじめましたか?

親の仕事で、小学1年生の時に香港に移住しました。野球とサッカーで迷っていたのですが、親からのすすめで、サッカーにしました。サッカー自体は小学1年生の時に始めたのですが、真剣に取り組むようになったのは12歳ごろだったと思います。

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[香港の「Brazillian Football Academy」でキャプテンとしてタイ遠征に(12歳)]

ーー香港では複数のチームに所属したようですが、どのチームが一番心に残っていますか?

最も印象に残っているのは、ユースで所属した「Hong Kong Football Club」です。香港で最も強い下部組織のチームです。100人あまりが参加するトライアル(セレクション)があり、合格して、入団することができました。ジュニアユースから数名が昇格し、合格したのは15人前後だったと思います。中学時代はそこで3年間サッカーをして、高校入学のため、日本に旅立ちました。

ーー「Hong Kong Football Club」は、どんなユースチームでしたか?

香港のプロチームの下部組織ですが、プロに昇格する選手は多くありません。香港のプロサッカーリーグは規模が小さいため、アメリカをはじめ、カナダやイギリスなど海外の大学に進学する人が大半です。海外大学のサッカー推薦を獲得する選手が大勢いる強豪チームです。

練習は週3回、週末に試合があります。さまざまな国から来た選手が集まり、個性的なチームでした。クラブの施設には、複数の人工芝のピッチ、ジム、プール、レストラン、体育館、ボウリングセンター、図書館などがあり、海外のプロクラブに負けないほどの素晴らしい環境で、プレーすることができました。

https://www.hkfc.com/facilities/

私のチームには、アジア、ヨーロッパ、北アメリカから来た選手たちがおり、特に

イギリス人とアメリカ人が多かったです。当時、私を含め4人の日本人選手が在籍していました。フィールドでのコミュニケーションはすべて英語で行われ、コーチとの会話もすべて英語でした。

ーーコミュニケーションで苦労などはありましたか?

加入当初はお互いのプレースタイルがわからないため、プレーで少しズレが生じる時はありましたが、英語ができたため、コミュニケーションの苦労は全くありませんでした。日本人の子で一人英語が話せない選手がいたのですが、彼には私のように日本語と英語が両方できる選手が全力でサポートしました。

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[ Hong Kong Football Clubで飛び級でライバルチームのKitchee FCとの試合にスタメンで出場。1500人ほどの観客の中、プロのピッチでプレーできた素晴らしい経験(背番号71番、青)]

ーー海外でサッカーをするうえで大変だったことは何ですか?それをどうやって乗り越えましたか?

海外の選手は体が強く、身体能力がずば抜けて高いので、試合中のフィジカル勝負で負けてしまうことが多かったです。これを機に、どうすれば自分が有利な状態に持ち込めるかを考えるようになりました。ポジショニング、ボールの持ち方、ボールを受ける前の準備など、自分が有利な状態でプレーするために必要な要素を磨くようになりました。
例えば、海外の選手はフィジカル勝負が強い分、足元の技術がずば抜けているわけではなかったので、相手にボールが入った瞬間を狙ったり、下を向いている時に距離を詰めたりなどをしていました。相手のウィークポイントを見つけて自分に有利になるためにそこを徹底的に狙う、というのは香港でプレーしていた時に心がけていました。

ーー海外でサッカーをしてよかったと思うことは何でしょうか?

海外でサッカーをしていると、友達が自然とできるところが楽しかったですね。香港は元イギリス領なので、サッカー人口が多いです。例えば近くのピッチに行くとほぼ常に誰かが試合をしています。それが全然知らない人だったとしても、声をかければ参加させてくれます。私は3回転校しているのですが、各学校でサッカーを通じて友達を作っていました。その学校の昼休みのサッカーに参加して、友達を作り始めていました。最初はもちろん、周りの人は誰一人知りません。ですがゴールを決めると、「ナイス!」「うまいじゃん!」などの声をもらえて、少しずつ距離が近くなっていきました。そして昼休みが終われば気づけばもうお友達、なんてことを経験することができました。

ーー日本に帰国後は、どのようにサッカーを続けましたか?日本のサッカーについてどう感じましたか?

 帰国後、高校1年で「Raiz Chofu U18」に入団しました。日本に帰国したのが2月という中途半端な時期だったため、限られた回数の練習参加しかできませんでした。その中で一番レベルの高かったチームを選択したところ、「Raiz Chofu U18」にたどり着きました。

日本でのサッカーは、最初はなれるのに時間がかかりました。土のグラウンドで初めて練習した時は驚きました。土のピッチの整備(グラセン)などもやったことがなかったので新しい経験が多かったです。練習環境はもちろん、走りが異常に多い練習メニューや、練習試合の時は、出場してない選手がラインズマンをやるなど、香港に住んでいた頃は絶対に考えられない経験が多いです。

さらに日本では、礼儀や相手に対してのリスペクトも重視しています。試合を見てくれた観客への挨拶、相手、審判、コーチへのリスペクト、様々な用具の扱い方、相手への気遣いなど。日本人からすれば当たり前かもしれませんが、香港ではこのようなことは行われていませんでした。日本では、これを当たり前のようにしていかなければいけないと感じました。日本のほうが海外よりも、サッカーをすることで、一人の人間としてより成長できる環境になっていると強く感じました。

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[ 現在所属している「Raiz Chofu FC」の試合で(左から2番目の背番号3番、赤)]

ーー将来の夢や目標は何ですか?

今の目標は憧れのアメリカの大学に留学し、サッカーを続けながらアスレティックトレーナー(ATC)の資格を取得することです。大学卒業後は、私が大好きなサッカーにたずさわる仕事に就きたいと思っています。

ーーその夢や目標に向けて、どんなことを心がけていますか?

現在は、アメリカ留学に向けて勉強と準備を進めています。もちろん留学できる保証はありません。だからこそ悔いのないように自分の全てを出し切って頑張ろうと心に決めています。サッカー面では、サッカーに対する気持ちというのを心に留めてプレーしています。私はこれまでのサッカー人生の中で様々な困難、壁にぶつかってきました。時には自信がなくなり、自分のプレーを見失ってしまう時もありましたが、その中で決して揺らがなかったのはサッカーに対する気持ちでした。サッカーが大好きだという強い気持ち、サッカーの楽しさというのを忘れず、今はプレーをしています。

ーーサッカーを通じてどんなことが学べると思いますか?

サッカーを通じてコミュニケーション能力や、礼儀、敬意などを身につけることができると思います。試合に勝つには、チームとしてのまとまりが不可欠です。例えば香港では、世界各地から来た、個性豊かな選手が集まったチームなので、選手間でのコミュニケーションなしには試合に勝てませんでした。だからこそ全員が人一倍コミュニケーションを意識していましたし、海外で培ったこの力を私は今でも発揮することができていると思っています。

とくにサッカーの技術と等しいくらいに礼儀とリスペクトが重要視されている日本では、人に対する敬意というのもサッカーを通して学べます。だからこそ人としてもサッカーを通じて成長できると思います。

ーーサッカー好きの子どもたちに何かメッセージをお願いします!

サッカー人生でどんな壁にぶつかったとしても、サッカーの楽しさだけは忘れないでください!まず自分が楽しまない限り、いいプレーはできない。

(2023年4月7日)

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[ 2023年の1月にはクラブチーム東京選抜に選ばれ、神奈川県選抜と対戦し、4-2で勝利(背番号20番、黄色)]