著者 :
50歳代、会社員。アメリカでワシントンやニューヨーク勤務を経て、現在は東京都在住。

はじめに

私には3人の息子がいます。

2008年、私は仕事の都合で家族を連れて香港に赴任し、2011年にアメリカに転勤になり、2018年まで7年間、アメリカで生活し、息子たちはサッカー漬けの日々でした。日本に帰国後、長男は高校サッカー部、次男はJリーグ下部組織のユースチーム、三男は地域のサッカークラブに入り、3人はそれぞれ違う形でサッカーを続けていました。

日本はアメリカに比べ、育成年代のためのサッカー運営がしっかりしていると実感します。日本サッカー協会の下部地域、さらに都道府県の協会があり、一貫性のある取り組みが行われています。小学生からトレセンがあり、リーグ戦や各種大会の運営も組織的に行われていて、高みを目指す道筋が明らかにされています。

アメリカでもサッカー人気は高まっていますが、サッカーの普及と才能あるプレイヤーを発掘して育成する環境の整備はまだ発展途上にあります。

日米の環境が異なることから、サッカーに打ち込む小学生のいるご家族がアメリカに転居することになったら戸惑うに違いない、と最近とみに感じています。

そこで、少しでも参考になればと思い、私たち家族がアメリカで経験したことをシェアします。私たちのケースがそのまま全米に当てはまるとは思いませんし、帰国してから数年経ちますので環境が多少変わっているかもしれません。その点はご容赦願います。

アメリカで最初のチーム探し

息子たちは2010年のワールドカップをきっかけにサッカーを始めました。私たち家族は当時、香港に住んでいて、平日はブラジル人コーチが教える地元のサッカークラブで、週末はお父さんコーチ達が率いる日本人のサッカーチームで練習しました。ブラジル人コーチのほめて伸ばす指導法が良かったのか、息子たちはすっかりサッカーの虜になりました。

2011年にアメリカに赴任することが決まった頃には、とりわけ次男が非凡さの片鱗をうかがわせていたため(親の贔屓目です)、アメリカで才能を伸ばしてやりたいと真剣にクラブ探しをはじめました。

私たちがアメリカで最初に住んだのは、メリーランド州のポトマックという場所です。サッカーが盛んな地域で、小・中学生の間では、野球やアメフトと同じくらいサッカーの人気が高かったように思います。

アメリカのジュニアサッカーは大きく分けると3つのカテゴリーがあります。

もっともハードルの低い『レクレーション』は、初心者だったり、サッカーを楽しみたいというプレイヤーのためのカテゴリーで、チームのコーチを務めるのは子供たちのお父さんお母さんというケースもあります。他のスポーツや習い事と掛け持ちでやっている子も少なくありません。

その上の『トラベル』は、トライアウト(日本のセレクションにあたります)を経てクラブに入会するのが普通です。サッカーを競技として行おうという意欲のある子供たちが集まります。週末は近隣のトラベルチームと試合をしますし、リーグ戦もあります。コーチは、しっかりとしたサッカー経験者の場合が多いです。

一番レベルが高いのが『アカデミー』です。アメリカでは、日本のJFAにあたるサッカー協会、USSF(アメリカ合衆国サッカー連盟)が認定する形で、アカデミー世代(日本のジュニアユース・ユース世代)の育成を目的として設立されたThe U.S. Soccer Development Academy(DA)という制度があります。これは、12歳以上のカテゴリー(私たちのころはU13以上)で、Development Academy(DA)の認定になりますが、日本のJリーグにあたるプロサッカーリーグMLS(Major League Soccer)のチームや街クラブでも強豪のところは、アカデミーチームの認定を受けています。

年代別によって違いますが、アカデミークラブは全米でも100前後しかなく、ここの指定を受けるのは、クラブにとって名誉であると同時に、高いレベルの育成が求められます。

U11以下には、「アカデミー」はありませんが、DA認定を受けているクラブのトラベルチーム(一学年にレベル別にいくつもチームがあります)のトップチームのメンバーは、そのままアカデミーに入部できるケースも多く、競争率が高くなります。

アカデミーを持つクラブのトライアウトではシビアに実力を見られます。日本で地域トレセンに参加している小学生であれば実力を満たしていると思いますが、アメリカではトライアウトでどの程度の人数を取るかなど、合否はチーム事情にも左右されます。アカデミークラブのコーチの多くは副業としてサッカーを教えているプロで、中には大学チームの監督を本業とするコーチもいました。

私たちがアメリカで生活を始めた時、長男は9歳、次男は6歳、三男が0歳でした。

息子たちが通い始めた現地の小学校で、長男のクラスメイトのお母さんに誘われて、中南米系のお兄さんたちが運営しているクラブに息子たちを入れました。

とりわけ次男にとっては物足りないレベルでしたが、1ヶ月ほど経った頃、一緒に試合を応援していたチームメイトのお父さんから次男をアカデミーを持つクラブに入れることを勧められて、地元の強豪街クラブのBethesda Soccer Club(BSC)を教えていただきました。

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[ Bethesda Soccer Club(BSC)には、2年間在籍した ]

BSCはコロンビア特別区・メリーランド州・バージニア州地域を代表するリーグ戦の優勝常連クラブで、過去に幾つかの年代が全米大会でも優勝しています。年代別アメリカ代表チームに選ばれる選手もいて、MLSや独ブンデスリーガのプロ選手も輩出しています。BSCを教えてもらったものの、紹介者がいるわけでもなく、クラブのホームページに記載されていた連絡先に電話をしてトライアウトさせてもらえるよう直談判するしかありませんでした。ヘッドコーチと何度か電話とメールでやり取りをして、シーズン途中でしたが何とか息子たちのプレーを見てもらえることになり、トライアウト代わりの練習参加を経て正式に入会が認められました。

強豪クラブ入団に向けての戦略

クラブ探しをする上で、クラブの運営に携わっているキーマンと面識を持つこと、そのキーマンに自分の子供を認識してもらうことは大切です。熱意や誠意が人の心を動かすのは万国共通です。たとえ英語が苦手でも積極的にコミュニケーションを取れば意図は伝わりますし、アカデミークラブにはコーチも子供もサッカーが盛んな中南米や東欧の移民家庭出身の人が一定数いますので、地域にもよりますが英語が流暢でなくても引け目を感じることはありません。要は遠慮しないことです。

今、アメリカでお子様のクラブ探しをしている方、これからクラブ探しをする方にとって、手っ取り早いのは、アカデミーチームでサッカーをしているお子様のいる日本人家族を探して、その方にクラブにつないでもらうことです。しかし、そのような方がいない場合は、覚悟を決めて自分でクラブにコンタクトするしかありません。

トライアウトの時期は5月〜6月と決まっており、クラブがチームを増やす場合はそのタイミングで行いますし、クラブを移る子供たちはトライアウトに合わせて一斉に動くため、その時が一番入会しやすいです。

一方、お子様のいるご家族が日本からアメリカに転居するのは、新学年の開始時期に合わせて7月〜8月が多いものと思います。その頃にはトライアウトは終わっており、諦めてしまうと1年間チャンスが巡ってきません。そうならないために、先にお父さんが渡米している場合はトライアウトが行われる前にクラブに連絡して、お子様がアメリカに転居した時に練習に参加させてもらえるように約束を取り付けておくことです。クラブへの連絡は日本からでもできますが、英語が苦手な方は初対面のコーチと電話やビデオ会議で意思疎通を取るのは難しいと思います。シーズン中であればクラブを訪ねて直談判することが可能ですし、練習を見学することでチームのレベルを把握することができます。

もし家族全員が新シーズンの始まる秋以降に転居する場合、ダメもとでクラブに事情を話して練習に参加させてもらえないかお願いすることをおすすめします。アメリカの公的な手続きはルールに縛られて融通が利かないことが多いですが、それを除くとアメリカ社会は比較的寛容で、柔軟に例外を認めてくれることが少なくありません。お子様のサッカーの実力にもよりますが、私たちの長男と次男がそうであったように、シーズン途中でも入会を認めてくれることはあります。

引っ越し、そしてクラブ探しが振り出しに

私がNY勤務になり、2013年、家族と一緒にコネチカット州グリニッジに転居しました。息子たちのサッカー活動が軌道に乗っていたのに、チーム選びは振り出しに戻ってしまいました。

私は引っ越す前にウェブサーチしたり家探しを手伝ってもらった不動産屋さんに尋ねたりして、転居先の地域にどのようなアカデミークラブがあるか情報を集めました。BSCのコーチ達から得たアドバイスも踏まえて、FC Westchester(FCW)という街クラブの強豪クラブに狙いを定めました(FCWもアカデミーを持っています)。BSCにも相談して、FCWのヘッドコーチに推薦状をメールで送っていただきました。

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[ 飛び級で入ったFC Westechester(FCW)でプレー ]

誤算だったのは、次男の年次のチーム設定がなかったことです。さらに長男の年次のチームは、FCWの中でも一際レベルが高い上にメンバーの結束が固く、長男が入る余地がありませんでした。仕方なく、長男、次男とも地元のコミュニティーセンターが窓口になっているトラベルチームに入り、シーズンをスタートさせました。ただ、捨てる神あれば拾う神ありで、秋シーズンが終わる頃には、FCWが冬休みを使って入会を希望する予備軍のために短期トレーニング・プログラムを主催することを妻が聞きつけ、次男を参加させました。すると、担当していたコーチ達の目に留まり、次男は飛び級で入会することが許されました。また、長男の年次でも新たにBチームを設けることになり、長男もトライアウトを経てFCWに入会しました。

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[ FCWのコーチ、チームメイト達と談笑しながら試合会場へ ]

アメリカで高まるサッカー人気、欧州のクラブも参入

私たちがアメリカに転居したのは、丁度、全米でサッカーの人気が高まりつつある時期でした。サッカーのプロリーグであるMLSは、全米4大プロスポーツリーグのNFL(フットボール)、MLB(野球)、NBA(バスケットボール)、NHL(ホッケー)には及ばないものの、若年層のサッカー競技人口は他のメジャースポーツに肉薄するか、むしろ多いくらいです。子供たちのサッカー熱の高まりはビジネスチャンスをもたらし、複数のサッカー協会が乱立して、それぞれが大会を運営したり強化選手向けプログラムを主催したりして、しのぎを削っていました。

アメリカのサッカー人気にいち早く目を付けたのはイギリスのサッカー関係者たちです。アカデミークラブや地域サッカー協会の責任者はイギリス人が多く、英プレミアリーグのクラブとパートナーシップを結んでいるアカデミークラブもありました。息子たちが入ったFCWは一時期エヴァートンFCと契約して、チーム名がEverton FCWに変わりました。

スペインのサッカー関係者たちもアメリカに進出しています。毎年FCバルセロナが全米各地でサマーキャンプを行なっていますし、スペイン・プロリーグ機構はU12の国際大会LaLiga Promisesを毎年ニューヨーク(会場はニュージャージー州)で開催しています。

アメリカのジュニアサッカーの運営はお世辞にも統制が取れているとは言えませんが、ジュニアユース世代からは、日本には及ばないものの、それなりに組織化して運営されていました。

さきほども説明したSoccer Development Academy(DA)は、全米規模でのリーグ戦と強化プログラムを運営しています。DA主催のリーグ戦にはDAの認定を受けたアカデミークラブが参戦します。全米を東部・中部・西部の3つに分けて(時差を考慮して全米を縦に分けています)、それぞれの地域に2〜3のリーグがありました。東部(East Conference)には3つリーグがあり、BSCが東海岸中部のリーグ(Atlantic Division)に、FCWが東海岸北部のリーグ(Northeast Division)に所属していました[i]

地域の強豪クラブからプロユースチームへ

息子たちがFCWに入って3シーズン目を迎えた2016年、大きな転機がありました。

その前年、MLSに参入したニューヨーク・シティFC(NYCFC)がアカデミー部門を立ち上げました。NYCFCは、英プレミアリーグのマンチェスター・シティFCとMLBのニューヨーク・ヤンキーズのオーナー達が共同出資して設立したチームです。隣接するニューヨーク州・コネチカット州・ニュージャージー州はトライステート(Tri-state)地域と呼ばれますが、この地域内には同じプロチームとして、ニューヨーク・レッドブルズ(NYRB)があります。プロを目指すアカデミー世代の選手は、MLSクラブの下部組織であるNYCFCとNYRBのいずれかのチームに入るのが大きな目標となります。

当時は、両チームともアカデミーチームはU13からあり、ちょうどその年次だった次男は両チームから声をかけられ、運良くどちらからもオファーを得ました。

当時、選考の参加資格を得るには、地域のリーグ戦やMLSクラブがシーズンオフに主催するキャンプに参加してスカウトの目に留まるか、自分が所属しているアカデミークラブのコーチから売り込んでもらう必要がありました。

次男は、NYRBについては、リーグ戦でのプレーが評価されたのか、NYRBが主催するキャンプで目をつけられたのかはわかりませんが、直接クラブからトライアウトに参加するように声をかけられました。

トライアウトには40人ほどが集まり、緊張感が漂う中、ゲーム形式を中心に選考が進められました。全体的にレベルが高く、皆必死でアピールしていました。その日に合格を伝えられたのは次男を含めて2名です。体が小さく、スピードがあるわけでもない次男がなぜ選ばれたのか不思議に思い、ヘッドコーチに聞いたところ、「インテリジェンスだ。選考で見ているのは潜在能力・伸び代だ」と言われました。

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[ NYCFCのU13では、キャプテンを務めた ]

一方、NYCFCについては、U13チーム設立初年度だったこともあると思いますが、変則的なやり方で選考が進められました。次男は所属チームであるFCWを通してトレーニングセッションや大会に招かれ、一年に及ぶ長丁場の選考プロセスを経て正式にチーム合流が決まりました。フロリダ州やテキサス州で開催された大会に呼ばれながら選考から漏れたプレイヤーもいて、オファーをもらうまでは落ち着きませんでした。NYCFCは何度かトライアウトも行ったようですが、最終的に選ばれたのはNYCFCから直接声をかけられて練習と大会に呼ばれ続けたプレイヤーばかりでした。[ii]

次男は悩んだ末、練習場が比較的自宅から近いNYCFCに入団することを決めました。シーズン前に開催されたLaLiga Promises(前述した、スペイン・プロリーグ機構が主催するU12の国際大会)への出場でチームが始動しました。対戦相手はスペインのFCバルセロナとビジャレアルCF、ポルトガルのSLベンフィカと、いずれも世界を代表する強豪プロチームのアカデミーチームで、善戦したものの結果は予選敗退で、決勝ラウンドには進めませんでした。

本格的にシーズンが始まると、平日は週3日練習して、週末は遠い場所だと車で片道3時間かけて移動してリーグ戦の試合に出る生活でした。また、全米のMLSアカデミーチームが集まる大会に出場するために他州に遠征することも何度かありました。

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[ NYCFCの一員としてLaLiga Promisesに出場して、FCバルセロナと対戦した ]

プレミアチームや高校サッカーの醍醐味

一方、長男は次男と違う形で、サッカー生活を楽しんでいました。

長男が所属していたFCWのBチームは“プレミアチーム”と呼ばれ、ニューヨーク州のサッカー協会が主催するリーグに出場していました。次男が出場していたDA主催のアカデミークラブ向けのリーグではありませんが、レベルは低くなく、中・高校生でアメリカに行ってアカデミーチームに入れなくても、プレミアでプレーできれば不満はないと思います。

さらに長男はトライアウトを経て、高校のサッカーチームにも入っていました。

高校生になると、アカデミーチームに入る実力があるにもかかわらず、プレミアチームにとどまる選手がいます。アカデミーに所属する人たちは高校代表チーム(Varsity Team)に参加できないルールになっているからです。秋シーズンに行われる高校対抗のリーグ戦(Varsity Soccer)に出場したくて、あえてプレミアチームを選ぶのです。

バーシティー・スポーツはカレッジ・スポーツほどの華やかさはないものの、学校をあげて応援して大変な盛り上がりを見せます。長男は当時、高校1年生だったため、高3・4年生(コネチカット州の高校は4年制で、日本の中学3年が高校1年にあたる)が主体のバーシティーではなかったものの、高1・2年生で構成されるBチームの中心選手の一人として活躍しました。学校を代表して誇らしげに、そして何よりも楽しそうに対抗戦に出場していました。普段FCWでやっているサッカーとは違う醍醐味を味わえたと思います。

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[ Greenwich High Schoolサッカー部で、高校対抗のリーグ戦に出場した長男 ]

長男はFCWのチームメイトを中心とする有志チームの一員として、ゴシアカップ(Gothia Cup/毎年7月にスウェーデンのヨーテボリで開催される世界最大規模のユースサッカー大会)にも出場しました。同大会は、各国でそれなりの戦績をあげなければ参加資格を得られません。毎年、日本からJユースチームや年代別代表チームが出場しています。長男のチームは予選を突破して、決勝ラウンドの2回戦で敗退しました。

自分のサッカーが通用するとの感覚を得て自信につながったものと思いますが、それ以上に、海外遠征で仲間との絆を強めたこと、サッカーを通じて世界中の人たちと交流する楽しさ、喜びを味わえたことが財産になっているはずです。長男らしい方法で、サッカーに打ち込み、充実した日々を過ごしました。

私は2018年4月に帰国し、家族は私に遅れること4ヶ月、アメリカの学年末まで現地で過ごしてから東京に戻りました。長男は日本の高校でもすぐにサッカー部に入部して、夏合宿に参加しました。次男はNYCFCアカデミーチームでのプレーを評価してくれた方の後押しを受けて、Jリーグ下部組織のジュニアユースチームに入りました。そして三男は、アメリカでは兄たちの練習に付き合わされて、いつもフィールドの片隅で一人黙々とボールを蹴っていましたが、生まれて初めて、東京で地元のサッカーチームに入りました。

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[ 兄たちに触発されてサッカーを始めた三男 ]

私たち家族にとって、アメリカでのサッカー経験は、一生の財産になるような、かけがえのない思い出です。

以上

(2022年8月10日)


[i] DAはコロナ禍で資金難に陥り、2020年3月に全ての活動を停止しました。そしてDAに取って代わったのが、同年5月にMLS主導で立ち上げられたMLS Elite Youth Development Platformです。30のMLSアカデミークラブと64のその他アカデミークラブの計94クラブで構成され、各年代がDAと同様の形式でリーグ戦を行っています。

[ii] MLSアカデミーチームは今は「アフィリエートプログラム」と称して同じ地域にある幾つかのチームと提携し、そこから才能のあるプレイヤーを引き抜くシステムを構築しています。MLSアカデミーチームに入りたければ、先ずはアフィリエートになっているクラブに入り、そこのコーチに推薦してもらうのが近道です。アフィリエート・クラブの情報はMLSクラブのウェブサイトに掲載されています。