元木幹雄(もとき・みきお)共同代表 総合人材サービスグループ執行役員。2001年に入社。人事制度及び人材育成制度の導入・定着に向けたコンサルティングやトレーニング、タレントマネジメントシステムの導入支援、各種サーベイやアセスメントの企画・実行支援に従事し、現在に至る。小学・中学時代は野球部、高校時代はラグビー部だった。 息子が2人おり、長男はJアカデミー所属の高校生、次男は街クラブ所属の小学生(2022年9月現在)。10年以上、土日祭日は、息子たちのサッカー観戦にいそしんできた。 |
私が、サッカー選手のキャリアやセカンドキャリアに関心を持つようになったのは、もう5、6年前のことかと思います。
息子が2人いるのですが、2人とも小さいころからサッカーが大好きでした。
特に長男は、小学1年のころから、「プロになりたい」と言い出して、その目標に向けて、サッカーの練習を真剣に積み重ねていました。
親としては、子供が目標を持ったり、夢をもつことはうれしいことです。週末ごとに、サッカーの試合を見に行くことも、とても楽しいことでした。
小学生のときなど特にそうですが、自分の子供だけでなく、チームメートもみんな小さくてかわいいし、チームメートの親御さんとも仲良くなって一緒に食事したりもしました。
全然違う業種の方やそのご家族と、仕事抜きで触れ合って、世界が広がるのは楽しいことです。
息子たちには、そうした機会を与えてもらったことに感謝しています。
他方、息子たちがサッカーにハマればハマるほど、親としての心配事も出てきました。
プロになれるなんて、本当に一握りの選手です。
生まれつきの才能もあるでしょうし、とてつもない努力が必要で、そしてチームやコーチなどとの巡り合わせといった「運」もあるでしょう。
たとえそうした条件がすべて整ったとしても、たまたま、試合でラフプレーを受けて、大怪我をしてしまったら、それで選手生命が終わることもあります。
夢が実現できたら本当にすばらしいことですが、なんと確率の低い、「博打的な」キャリアなのでしょうか。
才能に恵まれ、努力しても、怪我や病気で、突然、夢を断たれてしまったら、怪我をさせた相手を恨んでその後の人生を過ごしていくのでしょうか。
そんな後ろ向きのことではいけないと思いますが、膨大な努力を積み重ねたのであれば、大きなショックを受けて当然です。
そもそも、プロのサッカー選手の平均引退年齢は26歳と言われています。もし、怪我や病気がなくても、サッカーだけに没頭していたら、26歳で引退したあとの長い人生はどうするのだろう。そんなことが、だんだんと気になるようになってきました。
「企業人向けの人材育成」を仕事として
私は、さまざまな大手企業に対し、人材育成を目的としたコンサルティングやトレーニングを行う会社に勤めています。
企業における人材育成の目的は、個社別に定めるところではありますが、ビジョンや戦略を実現するために、従業員に必要な知識やスキルを身につけてもらうことと言えます。
そして現代はVUCAの時代と言われていますが、「先行きが不透明で、将来が予測困難な状態」です。このような時代においては、必要な知識やスキルも、刻々と変化しており、従業員自ら課題を考え、学び続けることが求められています。
そのため企業向けの人材育成では、「(講師が)教える」ことよりも「(従業員自らが)考え、学ぶ」ことを重視した内容に、より変化してきています。
一方、学校教育でも、教科書を基に教師が授業を行い、「聞いて学ぶ」学習から、2020年教育改革にて、小中学校と高等学校における「新学習指導要領」が導入され、新たに3つの軸として「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力など」「学びに向かう力、人間性など」を身に付けるために、従来のような受動的な授業スタイルではなく、能動的・主体的に生徒が学習できるようなカリキュラムが組まれているようです。社会人になってから求められるようなことを、学生時代から学べるようになってきているように感じます。
また、学生時代には、学校教育の他に、部活などのスポーツを通じて、社会に出てから必要なことをたくさん学べることがあると思います。
しかし、この点においては、気になることがあります。スポーツにおいては、勝利を目指し、運動能力を高めることには注力されているけれど、それ以外の学びは、軽視されているように感じることです。これは本当にもったいないことです。
「スポーツを通じての学び」とは
小学校から高校・大学までの長い期間で、スポーツにおいて一流をめざす人の「学生時代」は、どうあるべきなのか、という問題があります。
サッカーに限りませんが、プロになる、あるいはアマチュアでも一流を目指す人は、そのスポーツに膨大な時間とエネルギーを費やすわけです。費やさないと、一流にはなれないでしょう。
そして、スポーツを極めることから得られる学びも、確実にあると思います。教育学者の間では、知識ではない「非認知能力」の大切さが注目されるようになり、スポーツを真剣にやることで「非認知能力」が高まるという研究もあります。
非認知能力とは、テストなどで数値化することが難しい内面的なスキルを指し、積極性や粘り強さ、リーダーシップやモチベーションといった数値では測りにくい能力のことで、人生を豊かにする上でとても大切な能力です。
そう考えると、スポーツ自体が「非認知能力を養う場」といえそうです。
しかし、スポーツそのものの能力を高めるトレーニングは別として、非認知能力を高めるための「トレーニング」は標準化されているとはいえず、部活やクラブチーム、コーチによって、すばらしいトレーニングをされることもあれば、そうでないこともあるでしょう。
あまり外部に情報が漏れてこれない世界なので、部活やクラブに入ってみて、初めて実態がわかったというようなケースも多いと思います。
また、小学校から高校・大学までという長い期間において、スポーツにのめりこみすぎた場合の、「バランス」の問題もあるでしょう。
人間としての基礎を作るこの大切な期間に学ぶべきことは多く、時間やエネルギーがあまりにスポーツに偏ってしまえば、そのことによる弊害もあるような気がします。
息子に、「サッカーだけでなく、幅広く勉強もしないとだめだよ。サッカー選手になれなかった場合のことも考えておかないと」と話すと「サッカー以外のことも同時にやるなんて考えられず、サッカーに没頭したい」といいます。
まずはサッカーを極めたい、二股をかけるようなことはしたくない。そうした純粋な気持ちも理解できます。
応援したい気持ちもあるので複雑ですが、プロになれる確率のあまりの低さを考えると、それでいいのだろうかと思います。
もはや、親のいうことを聞く年齢でもなくなってきているので、息子にもあまり言わないようにしていますが、これは、保護者の関心事というだけでなく、スポーツにかかわる教育者・関係者の共通の課題なのかもしれないと思います。
このHPを通じて考えたいこと
冒頭に書いたように、子供のスポーツ活動を通じて、親も世界が広がる面があります。山脇幹大くんとの出会いも、まさにそのような出会いでした。息子が中学時代にお世話になったジュニアユースのチームで、息子と幹大くんは、チームメートとしての絆が生まれ、家族同士でもおつきあいするようになりました。
その後、幹大くんが、心臓の病気になったり、怪我も重なった結果、ユースのクラブチームを辞めざるえなくなったことには心を痛めましたが、これは、自分の息子を含め、どんな選手にも起きうることです。
幹大くんが、自分自身の海外経験も含め、いったんは挫折しても、サッカーで学んだことをポジティブに考えたり、発信していきたいという思いであることを知ったとき、私自身も、人材育成を仕事とする人間として応援し、一緒に考えていきたいと思いました。
子供たちが、サッカーなりスポーツに夢中になるのは、すばらしいことです。そこで、プロになるとか、一流のチームでレギュラーになるとか、そうした目標を持つのも良いことだと思います。ただ、そうした目標に、なんらかの理由で到達できなくても、自分のやってきたことをポジティブにとらえ、将来の人生、職業に生かしてほしいと思います。
まずはこのホームページを少しずつ充実させることが当面の課題ですが、いずれ、「人材育成」という視点から、サッカー選手をめざす青少年たちの役にたつようなプロジェクトができないか。そんなことを夢想しています。
(2022年9月12日)